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   <title>コラム｜WEBマガジン　e-days「イーデイズ」</title>
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   <title>配信URL変更のお知らせ</title>
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   <title>ワーナーブラザース・レコード創立50周年記念ボックスの中身は？</title>
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   <summary>いやはや、新しい時代が来ていること、つくづく実感したお正月だった。 昨年の暮れ、...</summary>
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      <![CDATA[いやはや、新しい時代が来ていること、つくづく実感したお正月だった。
昨年の暮れ、「ワーナー・ブラザース・レコード創立50周年記念のスペシャル・ボックス」が発売されるというニュースを知って、なんとCDが20枚入っているというボックス・セットを注文してしまった。<BR><BR>

最近、やたらデジタル・リマスターとか、紙ジャケット＆オビつきとか、やれボーナス・トラックつきとか、次々とキリなく発売される復刻ものCD。若いころ楽しく聴いた懐かしい音がいっぱい詰まっている。メーカーは「もう一度買ってちょうだい！」とあの手この手で迫ってくる。僕のような、クラシック・ロックが好きな音楽ファンは、ついフラフラと、いままで聴いたことのないボーナス・トラックなどにひかれて、思わず衝動買いしてしまう傾向があるので、最近はCDショップには立ち寄らないようにしているくらいだ。<BR><BR>

でも、ワーナー・ブラザース・レコード創立50周年スペシャル・ボックスと聞くと、我慢できなくなって、ついついインターネットを使ってオーダーしてしまった。

あなたがロックやポピュラー音楽のファンだったら、モータウンとか、アトランティックとか、お気に入りのレコード・レーベルがあると思うけれど、僕の場合は、ワーナー・ブラザース・レコードがその一つだ。<BR><BR>

アメリカはカリフォルニア州バーバンクにある映画会社ワーナー・ブラザース映画の音楽部門として創立されたレーベル。50年ほど前のアメリカ、黄金の1960年代、音楽産業も将来を有望視され、20世紀フォックス、パラマウント、MGM、コロンビアなど映画会社のほとんどが系列レコード会社を設立した。他社と同じくワ―ナ・ブラザース・レコードも、自社製作の映画やテレビ番組のサウンドトラックをレコードにすることで利益を得ようと作られた会社だ。<BR><BR>

ところがどっこい、映画と音楽は、同じエンタテイメントでも、似て非なるもの。映画会社を母体に作られたレコード会社のほとんどが数年経って経営的に立ち行かなくなったのだ。しかしワーナー・ブラザース・レコードは、そうはならず、70年代には一流レコード会社の仲間入りをし、現在でもメジャー・レーベルの雄としてワールド・ワイドな音楽業界の一翼を担っている。<BR><BR>

それはワーナー・ブラザース・レコードがアーティスト・オリエンテッドな組織だったからだ。経営者にとっては、もちろん売上・利益も大切だが、それは才能あるアーティストと彼らのレコードを買ってくれる顧客によってもたらされるもの。だから「まずは才能あるアーティストを発掘しよう。そうすれば利益はうしろからついてくる」というのがワーナーのコンセプトだった。<BR><BR>

この哲学を確立したのが1960年代中盤から20世紀の終わりまで経営陣のトップとして活躍したモー・オースティンという人。アメリカ音楽業界人としては、アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーテガンやアリスタ・レコードのクライブ・デイビスなどが有名だが、このモー・オースティンは「業界でいちばんアーティストを大切にする経営者」として知られている。<BR><BR>

1960年代初め、フランク・シナトラの下で働いた後、イギリスの新進バンドであったあのキンクスと契約。そしてグレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス、ヴァンダイク・パークス、ニール・ヤング、ジェームス・テーラー、ビーチ・ボーイズ、ライ・クーダー、Tレックス、ブラック・サバス、マドンナ、ラモーンズ、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、エリック・クラプトン、ダイアー・ストレイツ、マイルス・デイヴィス・・・モー・オースティンがレーベル契約したアーティストはまだまだ続くのだけれど、キリがない。百花繚乱、アメリカ・ポップス音楽の歴史そのまんま。<BR><BR>

このオースティンの活躍によって、いまだ創立当初の輝きを残しているのがワーナー・ブラザーズ・レコードだ。その創立50周年記念のボックス。240ページもあるハード・カバーの歴史本とCD20枚分、タブ・ハンターからメタリカまで、全部で320曲のヒット曲、それにTシャツがおまけについている。重さ2.2キロ。これは、どうしても買わねばならない！でもちょっとっ財布が痛む。そうだっ！定額給付金があるではないか！それを前倒しにしてしまおう・・・ということで、思い切ってクリック一発、注文してしまったのです。バカなわたし！<BR><BR>

そのボックスが届きました。ハード・カバー作り、豪華な「ワーナー・ブラザースの歴史」本、これだけでも読みごたえ見ごたえあります。<BR><BR>

<img alt="kamefuti11.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2009/01/16/kamefuti11.jpg" width="477" height="310" />

<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
あれれ、でもCDがない。えっ、20枚のCDはどこ？と思わずあせったら、私の大いなる勘違いでした。なんと、全320曲、CDではなく、特性のUSBメモリーに入っていたのです。<BR><BR>

たしかにいまはダウンロードで音楽を買って聴く時代。そういえば、ハードディスクに自分の全作品を入れて売り出したアーティストもいたっけ。それにしても約3GBのUSBが一本だけというのも、時代を感じます。<BR><BR>

<img alt="kamefuchi22.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2009/01/16/kamefuchi22.jpg" width="498" height="306" />


<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
これって「CDを聴く」とか「レコードを聴く」とかじゃなくって、USBを聴くというのかしらね。「昨夜、彼女と一緒に素敵なCDを聴いて盛り上がったよ」じゃなくって、「昨夜、彼女と一緒に素敵なUSBを聴いて盛り上がったよ」になるのでしょうか？うーん、あんまり盛り上がらん感じもしますが・・・。

<img alt="kamefuchi33.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2009/01/16/kamefuchi33.jpg" width="344" height="293" />

<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
中に収められている音は、エバリー・ブラザースもコニー・スティーブンスも、グリーンデイズもリンキン・パークも、ヒット曲ばかり。その時代が思い出されます。レコードもカセットもCDもMDも、ビデオもレーザーディスクもDVDも、古いものは、新しいものに代わっていく。でも、音楽はいつまでも、時代を超えて人々の心に残る・・・ということなのでしょうか。<BR><BR>

ところで、定額給付金って、くれるのくれないの、どうなんじゃ？！はっきりしなさい！はっきり！！]]>
      
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   <title>テレビの通信販売で売られたジョン・レノンＬＰ〜第９回</title>
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   <published>2008-12-15T10:57:54Z</published>
   <updated>2008-12-16T02:53:29Z</updated>
   
   <summary>12月のはじめ、東京は九段の武道館で行われジョン・レノン音楽祭「Dream Po...</summary>
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      <![CDATA[12月のはじめ、東京は九段の武道館で行われジョン・レノン音楽祭「Dream Powerジョン・レノン スーパー・ライブ」というコンサートに行きました。<BR><BR>

まぁ、お客様、ステージの後ろ側、北側の3階席、テッペンまでいっぱい。いまは亡きジョン・レノンの遺志を継いでアジア・アフリカの子供たちのために学校を建設しようという運動をサポートするのがこの音楽祭の目的。今年で八回目、年ごとにお客様が増えて、学校もたくさん建てられています。<BR><BR>

日本の人気アーティストたちがジョン・レノンや歌やビートルズ時代のジョンにゆかりのある歌をカバーしたり、詩の朗読をしたり、オノ・ヨーコさんも毎回出演、メッセージを送ります。<BR><BR>

今回は、奥田民生、CHAR、吉井和哉、トータス松本、斉藤和義、ゆず、Bonnie Pink、絢香、Love Psychedelico、斎藤ノブ＋夏木マリ、詩の朗読は宮崎あおい（敬称略）、などの皆さんが出演。<BR><BR>

出演者大熱演のこのコンサート、選曲がアーティストにまかされているので、各人とジョン・レノンとの距離がわかるようで面白い。最初に登場したのが、奥田民生＋斉藤和義＋ゆず＋トータス松本のユニットによる「エブリーボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」、あの「ホワイト・アルバム」の中のシブいロック・ナンバー。きっと奥田民生さんの選曲ではないかしら。宮崎篤姫あおいさんの詩の朗読は「ラブ」と「イマジン」、可愛い。私の好きなデュエットLove Psychedelicoは「ダブル・ファンタジー」から「ウォッチング・ザ・ホイールス」を、そしてトータス松本さんは「ロックンロール」から「スタン・バイ・ミー」を気持ちよさそうに歌っていました。<BR><BR>

ジョン・レノンが1975年に発表したＬＰ「ロックンロール」は、ビートルズの大ヒット「カム・トゥギャザー」がチャック・ベリーの「ユー・キャン・キャッチ・ミー」を盗作したものだと相手出版社から訴えられたジョンが、和解のために作った作品といわれています。その制作過程で、高名なプロデューサーであるフィル・スペクターがスタジオでピストルをぶっぱなしたりマスター・テープを持って消えてしまったり、ジョンはジョンで、彼の個人史でいえば最近翻訳本も発表されたいわゆる“ロスト・ウィークエンド”時代、ヨーコさんから離れ楽しい時期だったのかもしれないが、アルコールに溺れかかったりとか、大変な時期でした。<BR><BR>

そして、そして、ジョンは、1980年、自宅前で・・・。いつもなにかに脅えていていつも拳銃を肌身離さず持っていたといわれるスペクターは、ご承知のように、2003年、女優さんを射殺するという事件を起こす。ほんと、怖い世の中です。<BR><BR>

そういえば、私はこの「ロックンロール」のＬＰ、といっても正確には正規盤ではなかったのですが、このＬＰの宣伝をテレビ通販で見た覚えがあります。当時、仕事でニューヨークに行っていた時、ホテルの部屋でテレビのローカル・チャンネルをひねると、なんと「ジョン・レノンの新作ＬＰをテレビ通信販売で買いませんか」というお知らせをやっていました。<BR><BR>

<img alt="kamebuchi3.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/12/15/kamebuchi3.jpg" width="300" height="225" /><img alt="kamebuchi4.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/12/15/kamebuchi4.jpg" width="300" height="225" />

「欲しいよぉ、聴きたいよぉ」と思いましたが、アメリカで使えるクレジット・カードがないと買えない時代。でもそんなカードは持っていません。今では信じられないほど不便な時代です。ところが、市内のレコード店に行ったらそのＬＰが置いてあったのです。すでに海賊盤には、厳しい規制があったので、ニューヨークのような大都市の街中で堂々と売られることはなかった時代です。ＬＰの裏面には「ジョン・レノンとアップル・レコードの許可を得ている」と印刷されているけれど、極めて怪しい、粗雑なジャケット、知らないレーベル。<BR><BR>

<img alt="kamebuchi5.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/12/15/kamebuchi5.jpg" width="600" height="60" /><BR><BR><BR><BR>

でも、曲目をみて、思わず買ってしまいました。ロックンロールの原点といわれる名曲ばかり、全曲ジョンのお気に入りナンバーだったのでしょう。毎年末のエイズ救済コンサートで自分の好きな曲や影響を受けた曲を歌う桑田佳祐さんもこのＬＰから企画のヒントを得たのではないかしらね。<BR><BR>

しかし、この作品、やはりその発売手続きには多々問題があったようで、すぐに発売停止、商品回収となり、あっさりと市場から姿を消します。そのあとすぐに正規版のＬＰ「ロックンロール」が発売され、現在に至るというわけです。<BR><BR>

<img alt="kamebuchi1.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/12/15/kamebuchi1.jpg" width="300" height="225" /><img alt="kamebuchi2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/12/15/kamebuchi2.jpg" width="300" height="225" />

ジョン・レノンがアイドルだったエルビス・プレスリーは歌手生活後半、「この胸のときめきを」「好きにならずにいられない」「ブルー・ハワイ」などの大ヒットで、多くのファンからはバラッド歌手みたいに思われているけれど、ほんとはロックンローラー。ジョンも同じ。「イマジン」も「ギブ・ピース・ア・チャンス」も今の時期なら「ハッピー・クリスマス」もみな素晴らしいけれど、やはり彼の原点は絶対にロックンロール。そんな意味でもこのレコーディングは重要なものでした。<BR><BR>

そうそう、ジョン・レノン音楽祭、大トリにヨーコさん登場。オノ・コードという小さなライトを使って観客と一緒に光のラブ・サインを作り、広いステージを動き回り踊りまくります。あのおトシで、どこにそんなエネルギーが隠れているのか！常に新しいことに挑戦するヨーコさんも、やはりロックンローラーなんですね。いやはや凄いオバサマでした。]]>
      
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   <title>中学3年、初デートはピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』</title>
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   <published>2008-12-09T06:30:54Z</published>
   <updated>2008-12-09T06:30:58Z</updated>
   
   <summary>　中学時代のもう一つの思い出は、遊び仲間とラジオで希望者を募集している試写会に行...</summary>
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         <category term="01麻田浩　風に吹かれてみたいから" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<img alt="鉄道員.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/DVD.jpg" width="177"  />　中学時代のもう一つの思い出は、遊び仲間とラジオで希望者を募集している試写会に行くことだった。当時はラジオでよく試写会の募集をしていて、クラスの仲間とはがきをたくさん買い込んでは、片っ端から応募していた。5人くらいの仲間で、自分と家族、時には存在しない家族の名前まで書いて応募しまくった。これが結構当たるもので、当たるとみんなしてビデオホールとか、日商ホールとか、ヤマハホールなどへ学校の帰りに観に行った。今はもうどんな映画を観たかは思い出せないが、とにかく試写会へはよく行った。<br />
<br />
　そのうちその帰りに銀座で食事をして帰るようになった。誰が見つけたかは忘れたが、多分友人たちの年上の兄弟に聞いたりして行ったのだと思う。今の有楽町の地下鉄の乗り口にあったコックドールというお店の“ダックウッドサンド”。このダックウッドというサンドイッチは、当時の新聞で連載されていたマンガの主人公ブロンディーの旦那さん、ダグウッドが好きなサンドイッチのことで（これも友人のお兄さんに聞いたのだが、どういう訳か僕らはダックウッドサンドと呼んでいた）、 そのダグウッドが食べていたのが三段重ねのサンドイッチ。中身は忘れたが、とにかく口に入りきれないくらい分厚いサンドイッチで、当時の中学生にとっては結構高い食べ物だった。だから、そんなにしょっちゅう食べには行け無かったが、僕らにとっては憧れのアメリカンフードだった。<br />
<br />
　また、時々は三笠会館というレストランのカレーライスも食べた。ここは、食後にアイスクリームがついているのだが、これが凄くおいしかったので試写会の後よく食べに行った。映画の試写会は学友たちだから当然男同士で行ったのだが、中学も2年を過ぎると、僕らも女の子を意識するようになった。<br />
<br />
　そして誰が最初にデートをするかというようなことが話題になる。多分それはちょうどその頃放映され始めたアメリカのホームドラマの影響が大きかったと思う。『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』が放映されると、僕らは毎週食い入るように見た。僕くらいの世代の人がみんな憧れた大きな冷蔵庫から、これまた大きな牛乳瓶を出してミルクを飲むシーンや、子供たちそれぞれが自分の部屋を持っていて電話で長話をするといったシーン、家の表までスクールバスが迎えに来て、ランチボックスを手に、みんな楽しそうに話しながら学校へ行くなんていうことは、まだまだ日本の標準的な家庭には無かった。だから、僕らはそういうテレビの画面で見たアメリカの生活に憧れたものだった。<br />
<br />
　同じ頃、日本でもロカビリーが流行りだして、新聞や週刊誌に出たりして、僕らより少し上の世代はアメリカ並みにダンスパーティーなどに行くようになったのだ。僕の年上の従兄達はその年代だったから、だんだん僕と遊んでくれなくなり、僕自身同じ世代の学友たちとつるんで遊ぶようになった。そうなると話題は、ホームドラマにでてくるアメリカの若者たちがどうしたといったことが中心になり、それをお手本にした格好とか行動をするようになる。<br />
<br />
　その中でも僕らの興味を一番ひいたのがデートだった。アメリカだと父親の車を借りたりして、ドライブインへ映画を観に行ったり、ダンスパーティーに行って、その帰りにコーヒーショップへ寄ってハンバーガーを食べる、というのが比較的標準的なデートだとわかった。だが、僕らには車がない、ドライブインがない。でも、コーヒーショップは森永キャンディーストアがあった。多分僕らの仲間はみんな中学の2、3年頃に初デートを経験したのではないかと思う。ただクラスの中にはあまりそういうことに興味がない奴もいたから、僕ら横浜の仲間だけだったのかもしれない。<br />
<br />
　僕の初デートは多分中学3年の頃で、ピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』という映画を観に行って、その後、馬車道の喫茶店でお茶を飲み、伊勢佐木町にあった彼女の家まで送って行ったという比較的標準的なデートだった。ただあまり話し上手でない僕は、なんとか話題を作って彼女の興味をつなぎ止めようと前の日に随分いろいろと考えたのだけど、話題はもっぱら映画のことで終わってしまった。映画もどうして『鉄道員』だったのかは忘れたが、その当時よく観ていた戦争ものよりは、鉄道員の方が良いと思ったのだろう。僕の初デートに観た映画ということもあって、ヒットした『鉄道員』のテーマ曲は今聞いても胸にジーンとくるのであった。<br />

<div class="memo"><img alt="Clare.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/Clare.jpg" width="114" /><h3>[近況メモ]</h3><p>ジェフ・マルダーの自慢の娘、クレア・マルダー& ザ・リーズンズのJapan Tourを<br />2月にやります。CD「The Movie」も素晴らしかったし、ライブが楽しみです。<br /><br />
Toms cabin　<a href="http://www.toms-cabin.com/" target="_blank">http://www.toms-cabin.com/</a></p></div>
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   <title>ザ・フー、ぼくを見て、ぼくを感じて・・・〜第８回</title>
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   <published>2008-11-28T09:05:45Z</published>
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   <summary>　♪See Me（ぼくを見て）、 Feel Me（ぼくを感じて）、Touch M...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[　♪See Me（ぼくを見て）、 Feel Me（ぼくを感じて）、Touch Me（ぼくを触って）、 Heal Me（ぼくを治して・・・）♪（ピート・タウンゼンド作詞作曲）<BR><BR>

　コンサート会場全体に観客の歌うコーラスが響きわたったんです。感動！しました。ザ・フーのコンサート、アンコール曲での出来事。<BR><BR>

　僕が観たのは１１月１７日の武道館公演。会場に入ってまず、満員のお客さんにびっくりでした。
「単独では初の来日公演」という、ちょっと苦し紛れの、だったら「オリジナル・メンバー揃えろ！」とつっこみを入れたくなるような、プロモーション。関東地方では横浜と埼玉の両アリーナ公演プラス武道館での二回公演。大変な数のお客さんを動員せねばなりません。「大丈夫かしら、たくさんのお客さん、入って欲しいよ」と関係者でもないのに、願っていました。<BR><BR>

　でも、ノー・プロブレム。スタート時間には二階のてっぺんまで席は埋まり、会場が一瞬暗転、メンバーが板つきになると、観客総立ち。「よく来てくれたね。よくこれまで頑張ったね・・・」そんな感じいっぱいの大きな暖かい拍手で伝説のバンドを迎えます。<BR><BR>

「よかった、よかった、よかったねー、ザ・フー。たくさんのお客さんに囲まれて・・・」私、心底そう思いました。<BR><BR>

　私が現役のラジオ・ディレクター兼ディスク・ジョッキーだった頃、ザ・フーとか、キンクス、スモール・フェイセス、ムーディー・ブルースなどなど、イギリスのバンドでかっこいいバンドたくさんいたのだけれど、もうひとつ通向けでした。新曲を一生懸命オンエアしても、なかなかヒットに結び付かなかった。<BR><BR>

　みなどちらかというと男子に人気あるバンドで、「どのバンドが好き？」「ザ・フー」なんて答えると「変わったやつ」と見られがちだったんです。日本のバンドでも、はっぴいえんどとか、ジャックスとかのファンだと「性格、暗いのね・・・」なんて言われて終わってしまう時代でもありました。<BR><BR>

<img alt="kamefuti1.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/28/kamefuti1.jpg" width="300" height="218" />

<img alt="kamefuti2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/28/kamefuti2.jpg" width="300" height="220" />


　その頃はビートルズがポップス音楽界を席巻していた時代。それ故でしょうか、イギリスのバンドでしたら、なんでもかんでも「リバプール・サウンド」ってよんでしまう媒体があったぐらいで、ほんと、アホかいな。<BR><BR>

　ザ・フーのパフォーマンスが圧倒的にすごい！というのは、音楽専門雑誌にもしばしば書かれ、当時の洋楽ロック・ファンの間ではけっこう注目されていたのだけれど、いろいろあったのでしょうか、ほとんどの人気バンドが来日公演を行っているのに、ザ・フーだけはあかんかった。<BR><BR>

　ロックン・ロール前期ではエルビス・プレスリー、そして後期ではこのザ・フーが「日本に来なかった大物」ではなかったでしょうか。<BR><BR>

　ポピュラリティーという点ではビートルズとかローリング・ストーンズとかもっと凄い人気バンドがたくさんあるだろうけれど、ロックン・ロール音楽の凄さを体感させてくれるというか、演奏の派手さ、圧倒的な音の大きさ・・・観客をもっとも興奮させるライブ・ステージを最初に作ったのは、このザ・フーであること、間違いありません。オリジナルの４人編成は、正にモンスター・ロックバンドでした。<BR><BR>

　今回のステージ、あの愛すべきキース・ムーン狂気のドラミングやバンドの柱だったジョン・エントウィッスルのベースがいなくなっても、ピート・タウンゼントは水車回しのギターで、ロジャー・ダルトリーはマイクぐるぐる回しのボーカルで、一生懸命、われわれにザ・フーを感じさせてくれました。<BR><BR>

　ピート・タウンゼントは彼らの代表作「トミー」を何度もレコーディングしています。その中の一つに、１９７２年、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏、ゲスト・ソロイストにリンゴ・スター、ロッド・スチュアート、スティーブ・ウインウッド、リッチー・ヘイブンス、サンディー・デニーなどを迎え制作されたオールスター・キャスト盤があります。<BR><BR>

　「トミー」は画期的なコンセプトを持っていました。ですから少しでも多くの方にこの良さを知ってもらいたい、そしてザ・フーのファンになってもらいたいと、僕が制作とおしゃべりを担当していたニッポン放送の深夜放送「オールナイトニッポン」のためこのLPの日本語バージョンを作ったことがあります（１９７３年の春、２時間番組として放送）。オリジナルの雰囲気やストーリーを壊さないようにと、英語の歌の合間に日本語をかぶせていくという手法をとりました。大変な難作業でしたが、無事録音を録り終え、２時間番組として放送。番組を聴いた多くの方から「大変に、面白かった、良かった」とおほめの言葉をいただいた時は、ほんと、嬉しかった！<BR><BR>

　そのとき使ったLPレコード、そしてボロボロになった放送台本などが出てきました。役者の方々、当時はみなさん若かった。いまですと、とんでもない豪華なキャスト、超一流どころの声優さんばかり、故山田康夫さんのお名前もみえます。


<img alt="screen2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/28/screen2.jpg" width="610"  />


放送は、こんな風に始まりました。<BR><BR>

　[このロックオペラ「トミー」は、１９１９年、第一次世界大戦がまさに終わろうとしている頃、イギリスのある町で生まれたトミーという少年の物語です。ロック・オペラなのに、時代が古すぎないかって？いや、歴史はどの一片をとっても現代そのものなのです。ところで貴方は、モノを見てますか？聞いてますか？そして話してますか？もし、このうちひとつでも、意識的に閉じているとしたら、あなたもこのロック・オペラの主人公トミーと同じかもしれません]<BR><BR>

　♪See Me（ぼくを見て）、 Feel Me（ぼくを感じて）、Touch Me（ぼくを触って）、 Heal Me（ぼくを治して・・・）♪<BR><BR>

　・・・今でも充分に通用する、いや今の時代だからこそ必要なテーマ。武道館で聴いた観客のコーラスが時代の声のように思えたのは私だけではないでしょう。]]>
      
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   <title>オールディーズ・バット・グッディーズ〜第７回</title>
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   <published>2008-11-06T06:38:21Z</published>
   <updated>2008-11-06T06:57:33Z</updated>
   
   <summary>　iPodみたいなシリコン・オーディを聴いていると知り合いから「なにを聴いている...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[　iPodみたいなシリコン・オーディを聴いていると知り合いから「なにを聴いているの？」と聞かれる「うん、僕が若いころのヒット曲が多いよ。聴いていると、なぜか元気が出てくるから・・・」と答えると「ふーん、オールディーズを聴いているんだ」といわれる。そのとおりなんだけれど、面と向かって「オールディーズ、聴いているんだ」といわれると、わたしゃ、急にトシをとってしまったような・・・でも考えたら、いや考えなくってもその通りなんだから、まぁ、しゃ〜ないか。<BR><BR>

<img alt="kamefushi1.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefushi1.jpg" width="300" height="294" />

<img alt="kamefuchi2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi2.jpg" width="300" height="294" />

　一般的に、たとえば競争の激しいアメリカ・ラジオ業界の編成フォーマットの区分けなどから判断すると、1950年代中ごろから60年代前半までの、主にアメリカ製ヒット・ポップスをオールディーズと呼んでいる。エルビス・プレスリー、ニール・セダカにコニー・フランシス、ポール・アンカにリッキー・ネルソンなどなど、嗚呼、いい時代でした。そのあと、ビートルズが超人気者になった1964年ごろから70年代中盤までのヒット・ポップス、たとえばクリーム、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、Ｔ-レックス、キンクス、クリーデンスなどなどを、クラシック・ロックというジャンルでくくるのが普通の形。クラシック・ロックねぇ、これまた洋楽黄金時代でしたっけ。今の時代、音楽市場はＪポップに席巻され洋楽はさっぱりじゃ！<BR><BR>

　振り返ってみると、今から50年近くも前、1960年ごろ「オールディーズ」と呼んでいたヒット曲は、そのほんの4,5年前、1955年当時のヒット曲だった。いま2008年だから5年前、2003年のヒット曲になる。03年は「世界に一つだけの花」とか「地上の星」などが流行った年。検索したらこの年、他には朝青龍が横綱になった、「エンタの神様」が放送開始、テツandトモの「なんでだろう」が流行語になった・・・などとある。だったらこれら、もうみんなオールディーズの仲間入りかしらね。<BR><BR>

　オールディーズ音楽はオールディーズ・バット・グッディーズ（Oldies But Goodies?古いけど、いいじゃん！）ともよばれる。そうなのだ、古いことは決して悪いことではないのだ。僕がこの言葉を知ったのは17歳ぐらい。1960年頃だ。アメリカの音楽業界誌ビルボードで、そのまんま「Oldies But Goodies」というタイトルのＬＰが売れ行き良好ということを知った。その内容は、いろいろなマイナー・レコード会社から発売されているちょっと前のヒット曲がたくさん入っているＬＰとのことだった。そしてその多くは、当時、日本では手に入れにくいリズム＆ブルース（Ｒ＆Ｂ）や黒っぽいロックン・ロール曲だった。

<img alt="kamefuchi3.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi3.jpg" width="190" /><img alt="kamefuchi4.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi4.jpg" width="190" /><img alt="kamefuchi5.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi5.jpg" width="190"  />
<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
　当時の大レーベル、RCAビクターとかコロムビア、キャピトル、デッカなどは、自分たちが発売したレコードの原盤を他社に貸すようなことはしなかった。でもマイナー・レコード会社は小回りがきく。「お金になるのなら、どうぞ使ってちょうだい」ってなもんだったのでしょう。遠くの日本で、運よくラジオ放送で聴くことができたＲ＆Ｂヒット曲、でも日本のレコード会社は契約がないので発売の予定はない。だから、なんとか、ぜひとも、このＬＰ「Oldies But Goodies」を手に入れたかった。ところが、発売元のオリジナル・サウンドというレコード会社も、これまた大変マイナーな会社で、いくら買い注文を出してもなかなか届かない。<BR><BR>

<img alt="kamefuchi6.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi6.jpg" width="190"  /><img alt="kamefuchi7.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi7.jpg" width="190" /><img alt="kamefuchi8.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/11/06/kamefuchi8.jpg" width="190" />

<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
　今のようにあちこちに輸入盤を売っている店などほとんどなかった時代。僕の通っていたお店は銀座の日本楽器、輸入盤を扱っていた。洋楽のカタログを見て番号を確認し、注文を出してから3カ月経って連絡が来る。船便で注文を出し、荷物も船便で届くのだ。注文があちらに行くのに一カ月、集荷に一カ月、あちらからこちらまでが一カ月、合計三カ月。<BR><BR>

　いま考えればウソみたいな時代。多分月に一度位か、何人もの注文が納められた荷が店に届いて、その中に自分の注文した品が入っていなければ「残念でした」ということになる。なんというサービスじゃ！だからなんども注文を出しなおし、やっと数年後、注文したＬＰが届いた時は嬉しかったねぇ。<BR><BR>

　このＬＰ、売れ行き好調だったせいか、シリーズものとなり、いまやオールディーズの音盤教科書のような存在になっている。そしてこの企画に続けと、柳の下にどじょうが三匹どころか百匹以上、類似企画が各社から続々発売された。そしてその流れは現在までも続いているのだ。いま、こういった種類のヒット曲寄せ集め企画はオムニバス盤とかコンピレーション盤とかよばれ、大ヒット企画が続々と発売されている。かつては厳しかった各レコード会社間における原盤の貸し借りの融通がつきやすくなったことが、人気企画を生む最大の要因となっているようだ。<BR><BR>

　いまやダウンロードで音楽を聴く時代。ＩＴのおかげか、店に行って「この曲とあの曲と、それからあれと…」と、自分の好きな曲を選んで一枚のＣＤやメディアを作ってくれるサービスもはじまっている。音楽もコンビニでの買い物みたい、お手軽になってきている。そんな時代だからこそ、これからはますますオムニバスやコンピレーション企画に、人気が出てくるようにも思うのだ。]]>
      
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   <title>明治学院に通っていた頃の楽しみ</title>
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   <published>2008-11-06T06:35:38Z</published>
   <updated>2008-11-06T06:39:30Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[<img alt="meijigakuin.JPG" src="http://e-days.cc/style/columns/images/meijigakuin.JPG" width="316" height="212" />　話は前後するが、当時僕が通っていた明治学院のことを少し書こう。中学校の入学式だったと思うが、母親が一緒に来て、帰りに当時の目黒駅のロータリーの裏にあった「とんき」というトンカツ屋さんで食事をした。それまで食べていたうちのトンカツと違って凄くおいしかったのを覚えている。当時の目黒駅はまだ今のように奇麗ではなく、その「とんき」があったロータリーの裏の方の建物はバラックという感じで、飲み屋などもうらぶれた雰囲気で、まだ戦後を引きずっていた。<br /><br />

　明治学院は港区の白金にあって、普通に行けば東横線で綱島から田園調布、そこで目蒲戦に乗り換えて目黒へ出て、そこから都営バスの大井競馬場行きに乗って、二本榎というところで降りる。当時の明治学院はバスを降りて正門をくぐり、高校の校舎を左に見て銀杏並木をあがって行くと古いチャペルが左手にあり、上りきると校庭の右手に外人の先生用の西洋館が何軒かあり、左手に古い3階建ての木造校舎があった。今思うとかなり雰囲気のあるこぢんまりした学校だった。生徒も50人クラスが4つで、年ごとのクラス替えで3年になるとほとんどの学友は知っているという家族的な学校だった。<br /><br />

　僕ら東横線、目蒲線仲間は同じ電車で目黒駅に着いて、山手線で来る仲間と合流してバスで学校まで行った。当時は同じ路線に清心女学院と森村学園という学校があり、かなりたくさんの女子学生が乗っていて、2年生くらいになると「何時のバスにかわいい娘が居るぜ」といった情報が話題になるようになるが、入学当初はまだ友人達がどういうやつだか分らないので、そういう話題は出なかった。<br /><br />

　明治学院はキリスト教の学校で、学校の教科に入っていた聖書の時間は教会に行くというのが点数に加味されるということがあって、僕も教会に行くことにした。まあ祖母が横浜の海岸教会で長老をやっていたのでそこに行くのが普通なのだが、学校の横浜の友人達は明治学院で教えていらした高谷先生という方の居る指路教会に行くというので、僕もそこへ行くことにした。東横線で桜木町まで行って、そこから伊勢佐木町方面へ歩いて10分位のところにある指路教会は、海岸教会ほどではないが、かなり古い教会だった。<br /><br />

　学校の点数に関わっているということもあって、僕らはよほどのことが無い限り、毎日曜日指路教会へ行った。そういう事情だったから、僕らにとって教会へ行くこと＝キリスト教信者になることではなかった。でも、僕らの日曜学校の先生が同じ学校の大学生だったこともあって、とてもアットホームな雰囲気で皆凄く楽しい時間を過ごせた。<br /><br />

　まあひどい話だが、正直言って教会へ行く楽しみにいくつかの他の要素があったことも事実だ。先ず男子のみだった僕らの学校には居ない女の子に会えるということ。もちろん教会だから礼拝をして日曜学校のクラスへ出るのだが、そこは学校と違って男女合同。恋愛感情などはないのだが、女子と一緒というのが何とも嬉しかった。そして、もう一つの楽しみは教会の後での寄り道だった。<br /><br />

　当時、伊勢佐木町の入り口に「森永キャンディーストア」というコーヒーショップがあった。僕らは教会の帰りにほぼ毎週そこで何かしら食べて帰った。時々は教会の女の子達も来ていて、一緒にお茶を飲んだりしたが、それ以上は何も無く女の子達とデートをするようになるのはもっと後だ。僕は山手の方に親戚があり、従兄の兄貴達と遊ぶほうが楽しかったので、時々は帰りにそこへ行ってグライダー作りやスクーターに乗せてもらったりした。<br /><br />

　そのうち喫茶店でお茶するだけでなく、時々皆で映画を観に行くようになった。多分一番始めに皆で見に行った映画は石原裕次郎の“嵐を呼ぶ男”だったと思う。それは僕にとって初めて体験する大人の映画だった。小学生のときは学校から見に行く映画や、時々家族と行ったディズニーの映画くらいしか見たことの無かった僕は、映画で興奮する人がいるのをそこで初めて体験した。<br /><br />

　今思えば、当時は裕次郎全盛期で映画館は満杯。人いきれと異様な興奮状態の中、映画の途中で“そこだ、やっちまえ”などとかけ声をかけるお客が居たのに驚いてしまった。そして映画が終わって、今度は自分が裕次郎になった気分で肩を怒らせながら歩いて帰っていくお客さんを見て、ああ僕も大人の映画を見たんだという実感を味わっていたのだった。<br /><br />

<div class="memo"><img alt="images.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/images.jpg" width="114" height="116" />
<h3>[近況メモ]</h3><p>久しぶりにピーター・ボグダノビッチの映画『ラストショー』を観ました。ラジオから流れてくるハンク・ウィリアムスの「Cold Cold Heart」、ハンク・スノウの「A Fool Such As I」など選曲も良いです。<br />
Toms cabin　<a href="http://www.toms-cabin.com/" target="_blank">http://www.toms-cabin.com/</a></p></div>
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   <title>霧のファイブ・エイエム（５Ａ.Ｍ.）ザ・ミレニューム 〜第６回</title>
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   <published>2008-10-15T08:38:04Z</published>
   <updated>2008-10-15T08:44:07Z</updated>
   
   <summary>　「あっ、音楽が変わった！」と感じたのは、国連が提唱する「国際青年年」に協力する...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[　「あっ、音楽が変わった！」と感じたのは、国連が提唱する「国際青年年」に協力するため全国の民放ラジオ局が力を合わせライブ音楽イベントを行なうことになった1985年6月15日のことだった。それまで絶対に音楽イベントには貸さないといっていた国立競技場を借りることが出来るという。WOW！チャンスだ！ <br><br>

　・・・というわけで僕が制作総責任者となり、松任谷正隆さんご夫妻、小田和正さん、加藤和彦さん、吉田拓郎さん、大滝詠一さん、坂本龍一さん、武田鉄矢さん、佐野元春さん、サザン・オールスターズ、さだまさしさん、信藤三雄さんはじめ多くのミュージシャン＆クリエイターの力をお借りし「オール・トゥギャザー・ナウ」というイベントを行なった。自分でも強く記憶に残る素晴らしく楽しいイベントであった。その時再結成してくれたはっぴいえんどのステージに細野晴臣さんがバック・コーラスのため仕込んだ若者たちが大変に新鮮、そしてすがすがしかったのだ。<br><br>

　イベントが終了してから彼等の名前をきいた。「シ・ショーネン」、「ピチカート・ファイヴ」、「ワールド・スタンダード」など細野さんを慕って集まっている若者たちだという。それから何年か経って東京渋谷周辺にファッション性の強い音楽が出現した。あの若者たちが中心となって作り出した新しい音楽の流れだった。洋楽と邦楽がうまく融けあい、それまでなかったおしゃれなサウンドで「渋谷系」とよばれた。その種の音楽を聴く若者たちの間でソフト・ロックとよばれるジャンルの音楽が流行っていて、ロジャー・ニコルスとかカート・べッチャー、ゲイリー・アッシャーとかが大人気だったということも知った。<br><br>

　我々の時代は、ロジャー・ニコルスよりも相方のポール・ウイリアムスの方が知られていたし、カート・べッチャーやゲイリー・アッシャーなんて、よほどのポップス音楽ファンでなければ知らない名前だった。僕もゲイリーは。ホット・ロッドのお兄ちゃんというぐらいの感覚でしかなかった。<br><br>

　しかしいま、若い人たちの探求心が、我々の世代がほとんど無視してきた音楽に光をあててくれる。ソフト・ロック・ファンが多いということも嬉しいことだ。50年代から60年代中盤にかけても、この種のグループはたくさんいた。1959年春に「カム・ソフトリー・トゥ・ミー」の大ヒットを放ったフリートウッズがこのジャンルでは最初の人気者ではなかったかと思う。アソシエーション、ブレッド、ハーパース・ビザール、モジョメン、ボー・ブラメルス、パレード、メリーゴーラウンドなどなど・・・アメリカ西海岸と時代の香りがする素晴らしいグループがたくさんいた。<br><br>

<img alt="kamefuchi1.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/10/15/kamefuchi1.jpg" width="247" height="250" />

<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>

　そんなソフト・ロックのグループの中でもこのザ・ミレニウム（ジャケットをみるとミレニュームとなっていますね）はほとんど目立たなかったグループだ。彼らのレコード、発売当時、アメリカでも日本でもヒットはしなかった。発売元のCBSソニーもあまり期待していなかったのか予算がなかったのか、同社のＡ&Rディレクターだった石川さんがご自分でライナーを書いているぐらいだ。彼に「この『霧のファイブ・エイエム』いいですよ・・・」といわれ、聴いてみると確かに悪くはない。そこで僕も担当の音楽番組で数回オンエアしたがリスナーからの反応は全くなかったと記憶している。石川さんはS&Gなども担当された大変に耳の良い洋楽A&Rマンだった。<br><br>

<img alt="kamefuchi2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/10/15/kamefuchi2.jpg" width="246" height="250" />  <img alt="kamefuchi3.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/10/15/kamefuchi3.jpg" width="250" height="248" /><br><br>

<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>

　そんな曲がそれから10年以上も経って、東京渋谷界隈で流行るなんて・・・ホンと嬉しい世の中です。まだまだ、良い曲いっぱいあると思うから、若い人にはぜひぜひオールディーズとかクラシック・ロックとかよばれる時代の音楽をどんどこ発掘してもらいたいもの。そういえば70年代初め「プレシャス＆フュー」というスマッシュ・ヒットを放ったクライマックスっていうグループもいたね、彼らも良かった！いまやどうしているのやら・・・。こんな話をすれば、としよりの長話になりそう、ひと晩中でも出来そうじゃ、ねぇ、ばあさんや。あれ、ちがったかな？！

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   <title>グリーン・ドアの向こうにナニがある？〜第５回</title>
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   <published>2008-09-30T07:05:50Z</published>
   <updated>2008-10-15T08:30:56Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[　今回、見つけてきたレコードはジム・ロウが唄う「グリーン・ドア〜みどりの扉」という、よっぽどのポピュラー音楽ファンでなければご存知ないと思われるジミな曲。実はこの曲のB面もすごいんです。アメリカ・ポピュラー音楽界の奇才リー・へイゼルウッドがプロデュース、サンフォード・クラークが歌った「ザ・フール〜ばか者」という唄。製作者へイゼルウッドの初ヒットでしょう。不思議なサウンドを持ったロクンロールです。<BR><BR>

<img alt="kame080930.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/09/30/kame080930.jpg" width="246" height="250" /><img alt="kame080930b.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/09/30/kame080930b.jpg" width="253" height="250" /><BR>

<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>

　「グリーン・ドア」は緑のドアの向こうに不思議な世界があるという、なんだかとっても妙な歌詞の歌。1956年の暮れ、ビルボードのチャートで第1位になっています。<BR><BR>

　そういえば1970年代中ごろ、マリリン・チェンバーズ主演「ビハインド・ザ・グリーン・ドア」という映画もありました。ワオ！の映画でした、が、これはこの際関係ない。<BR><BR>

<img alt="kame080939c.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/09/30/kame080939c.jpg" width="248" height="250" /><img alt="kame080930d.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/2008/09/30/kame080930d.jpg" width="248" height="250" /><BR>
<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>
　ジム・ロウという人は、ラジオのDJ。この頃はラジオDJが歌うことが流行っていたのか、ウインク・マーティンデールというテレビ司会者としても人気のあるラジオDJが歌った曲もヒットしていましたっけ。<BR><BR>

　この曲を探したのは、先日、音楽ライターの保科さんとご一緒にスライ＆ザ・ファミリー・ストーンを観に行ってきたからなんです。場所は東京国際フォーラムAホール。その日は東京ジャズ2008イベントの一環、3組のアーティストが登場。最初はロベン・フォード。次にとサム＆デイブのサム・ムーア、そしてスライ＆ザ・ファミリー・ストーンという、ジャズというより、ソウル＆ファンク・ナイトという雰囲気。ほんとに出てくるのかと思ったら、出てきました。それも30分以上もちゃんと声も出て、予想以上によござんした！<BR><BR>

　そのスライ・ストーン、ファンの皆さんならご存知、その昔、彼は地元サン・フランシスコ・ベイ・エリア、オークランドでラジオ・ディスク・ジョッキーをやっていました。<BR><BR>

　DJのかたわらレコード・プロデューサーをやっていたことが良かった。ラジオDJとしてヒット曲をたくさん聴くことが出来る。そしてレコード制作で音作りを実践する。スライ・ストーンの強烈な才能の秘密、ここにありだと思います。<BR><BR>

　ラジオDJから歌い手になった人ってとっても多い。先日亡くなったアイザック・ヘイズも、僕は残念ながら聴いたことがないのですが、名ＤＪだったそうです。あの声でDJをやったら、けっこう身体が反応するでしょうね。グリーン・ドアの裏側でしょうか？<BR><BR>

　アメリカでは、ラジオ局が大変に多いせいでしょうか、たくさんの人がラジオを自分のキャリアのスタートにしています。<BR><BR>

　政治の世界でも、レーガン大統領がそうでしたが、共和党の副大統領候補サラ・ぺイリンさんもいまの道へのスタートはラジオ・スポーツキャスターだったとのこと。<BR><BR>

　歌い手がDJやるのは当たり前ですけれど、最近の話題はボブ・ディランのDJ。2年前以上も前からディランは衛星ラジオでDJをやっているんです。「シーム・タイム・ラジオ・アワー」という1時間番組。いわゆるDJというよりボブ・ディランが自分が影響をうけた歌や好きな歌を紹介するという音楽番組。これが詳しいのなんのって、もうその辺の音楽評論家先生が裸足で逃げ出すほど、音楽に詳しいのだ。一流の歌い手は音楽にも詳しいのです。<BR><BR>

　残念ながら日本じゃ聴くことが出来ないけれど、この番組、聴きたいねぇ。<BR>
　自分のことになってしまうのですけれど、DJが歌を歌っても良いのだということを教えてくれたのが、今回のレコード、ジム・ロウの「グリーン・ドア」。この曲がヒットしてから15年後、ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」のDJをやっていた僕は、このジム・ロウのことを思いだし、同僚の齋藤安弘さんと一緒に、カメ＆アンコーとして歌手デビューするのです。デビュー曲は「水虫の唄」、タイトルがかゆいです。ほんと、いろんなことやりました。僕もラジオが人生のスタート地点だったようです。<BR>]]>
      
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   <title>「エルビス・プリースリー」のEP盤～第4回</title>
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   <published>2008-09-12T06:43:31Z</published>
   <updated>2008-09-12T10:28:25Z</updated>
   
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      <![CDATA[<script type="text/javascript" src="/style/columns/2/js/popup_01.js"></script>
<img src="/style/columns/2/images/20080912.jpg" width="200" border="0" style="border:0px;" />

　ハイ、カメでございます。<br /> 

　なんと最新作「インディー・ジョーンズ〜クリスタル・スカルの王国」の冒頭、カー・ラジオからエルビス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」が大音響で流れ、観客の我々はあっという間に51年バック。お話の方は前作の1930年代から20年ぐらい飛んで1957年へ。ロックン・ロールに熱狂する若者と怪しい兵隊さん、ワクワクドキドキ、うまい演出です。<br /> 
<br /> 
　さて今回の「カメカメ・ポップス」、新しいインディー・ジョーンズに刺激され、前回のジョニー・キャッシュとデビューが同じサン・レコードつながり、エルビス・プレスリーものを探してみました。<br /> 
<br /> 
　「初めて買ったエルビスのレコード、なんだっけ？あるかな？」<br /> 
　出てきました、ありました。これこれ、これです。熱心なエルビス・ファンの方なら皆さんご存知ですよね。タイトルは「ウェスターン・キャラバン 第四輯」、レコード盤号VICTOR EP-1146。<br /> 
<br />
　45回転4曲入りアナログ・レコード。これをEP盤とよんでいました。レコード盤には裏と表があって、A面とB面、片面に2曲づつ収録。ほとんどの方、常識だと思うでしょ。でも、最近、それを知らない年代の方がいることを知りました。昭和は遠くになりにけり・・・。タイトルにある「輯」、シュウという字、クルマ偏にクチ書いてミミ。第四輯つまり第四集ということ（いまこっそり、検索で字引ひきました、ハイ）。<br /> 
<br /> 
　当時デビューしたばかり、アメリカで人気沸騰中のエルビスがA面。カントリー・ウエスタン音楽界では超大物ハンク・スノーがB面に回されています。この頃からすでに、芸能界は人気がすべての時代がはじまっていました。いまでは、政治も人気がすべてみたいな時代。それでは困りますね・・・おっと関係ないか？！？<br /> 
<br /> 
　発売年はいつ？ジャケ裏の解説で「エルビス・プリースリーは本年20才の若さですが、すでに将来を嘱望されている新人で・・・」となっているから、1955年の暮れあたり。あるいは翌年1956年のものでしょうか？その頃、わたしゃ可愛い14才、あーコリャコリャ・・・でした。<br /> 
<br /> 
　「エルビス・プリースリー」っていう表記、いまとなっては笑ってしまいますけれど、名前の読み方って、ほんと、難しい。日本人だって読めない名前、たくさんあるのに、ガイジンだもんね。それにハリウッドの映画スターならともかく、外国流行歌手（よい響きですね！）に関する情報、1950年代はほとんど入手困難、ラジオFEN(現AFN)放送で知るのがやっとでした。恥ずかしながら、僕も、バート・バカラック（Burt Bacharach）をバート・バカラッチとか読んでたもんね・・・。<br /> 
<br /> 
　名前が読めないといえば、最近のラップやヒップ・ホップ、R＆Bのアーティスト名やグループ名、日本アーティストもふくめ、スンゴクなっていますね。記号とか、印とか、「おまえはアバターか！」みたいなもの、目立ちます。記号や符牒のような名前のアーティストといえば、60年代にも「? & ミステリアンズ」というグループがいたけれど、1990年代初めに、名前の記号化、同音異字化を試みたプリンスは偉かった！？プリンスは「名前なし」って名前のころもあって、放送局泣かせの人でした。<br /> 
<br /> 
　ところで、この「ウェスターン・キャラバン 第四輯」で、エルビスが歌う2曲。1曲目は「忘れじの人（I Forgot To Remember To Forget）」。作曲者の一人チャーリー・フェザースは「俺がエルビスに歌い方を教えた」と発言し、物議をかもしたこともあるロカビリー歌手。この曲、ジョニー・キャッシュも録音しています。<br /> 
<br /> 
　もう1曲は「ミステリー・トレイン（Mistery Train）」。ジム・ジャームッシュ監督の映画でも有名な曲。作詞作曲としてブルース歌手リトル・ジュニア・パーカーとサン・レコードの経営者サム・フィリップスの名がクレジットされています。でも、この歌は、1920年代後半大変に人気のあったフォーク・ソング・グループ、カーター・ファミリーの「Worried Man Blues」にインスパイアされて作られたもの。カーター・ファミリーといえば孫娘ジューン・カーター、そのジューンを妻にしたジョニー・キャッシュ・・・ありゃりゃ、またジョニー・キャッシュに戻ってきちゃった。<br /> 
<br /> 
　最後に一つ、イタリアのクラブDJスパンコックス（SPANKOX）が「ハートブレーク・ホテル」「冷たくしないで」「監獄ロック」などエルビス初期の大ヒット曲をリミックスしたCDが最近発売になりました(PCCY-80052)。おじさんにもわかりやすい、ロックのツボを心得たリミックス。すでにクラブDJはロックン・ロール・プレーヤーであり、アーティストの域に達していますな！<br /> 
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   <title>落ちこぼれの中学生、大島渚の第一回監督作品に出演</title>
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   <published>2008-09-03T11:06:06Z</published>
   <updated>2008-09-03T11:06:35Z</updated>
   
   <summary>　さて中学生の僕の日常生活はどうだったかというと、月曜日から土曜日までは当然学校...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="愛と希望の街" src="/style/columns/images/asada_nagisa.jpg" width="177" height="250" />　さて中学生の僕の日常生活はどうだったかというと、月曜日から土曜日までは当然学校に通っていた。学校の授業にはきちっと出ていたがその頃の学校生活についての思い出は、部活動の切手趣味クラブの会合と軟式野球部の練習以外はあまりない。といっても当時学校の裏手（白金八方園との境目）で土器の発掘のまねごとをやったことや、当時まだ残っていた木造３階建ての古い校舎の探検をやったことは覚えている。授業に関してはなかなか面白い先生がいてそれなりに面白かったのだが、いかんせん勉強嫌いで遊び好きという性格だったので、宿題だけはやっていくが家で勉強などはしたことがなかった。当然勉強はそっちのけで、ほとんど毎日音楽のノートの整理とか（FENを聴いて書いたメモの整理）、テレビ番組のプロマイド請求のハガキ書き（当時は外国のテレビ映画の主役のプロマイドを請求すると送ってくれた）、映画の試写会の応募、また音楽番組へのリクエスト等を先生の目を盗んでやっていた。<br /><br />

 　中学校は小学校みたいに勉強しなくてもそれなりの成績がとれるほど甘くはなく、当然成績はどんどん下がっていった。そして２年の中間試験の後に親が呼び出されて、お宅のお子さんは知能テストの成績は良いのですが、学校の成績が良くないと言われて帰ってきた。知能テストでは上位にランクさせていたのでやれば出来ると言うことだったのだろうが、学校の成績は50人くらいのクラスで40番前後だったから親も驚いてどうにかしろと言ってきたのだ。仕方がないので、次のテストはかなり真剣に勉強してクラスで10番くらいになった。それでやれば出来ると言うことを親と先生に知らしめることができたのだが、中学校の勉強は前のことが分っていないと次のことが理解できない仕組みなので、だんだん授業についていけなくなって、落ちこぼれの生徒になっていった。<br /><br />

 　そんなある日、職員室に呼ばれたのでまた成績のことかなと思って暗い気分で行ってみると、そこには松竹の助監督の田村さんという人がいて（この人は田村猛さんで大島渚ほか多くの監督と脚本を書いた人で、ご自分でも監督をしていたと思う）、次の映画に出てもらう子供を捜しているということだった。何がなんだかわらないうちに、銀座の歌舞伎座近くの旅館に行くことを約束させられた。今考えると学校がなぜこんなことに協力したのかわらないが、落ちこぼれの僕としては学校が欠席を認めてくれたのだから、喜んでその旅館に出かけて行って出演を承諾してしまった。ただ親父は相当怒ったみたいで、学校に抗議をしたらしい。それに僕にもお前はどうなんだと聞いてきた。でも学校が休めるということで、映画のことなんか何もわからず僕はやりたいと親父に言って、最終的に親父の許可が出た。<br /><br />

 　映画は当時27歳の大島渚の第一回監督作品『鳩を売る少年』というタイトルで（公開時には『愛と希望の街』というタイトルに変わっていた）、20人くらいの中学生が集められたと後で聞いた。監督の大島渚さんとの旅館での面接の後、松竹の大船スタジオでのカメラテストをするということになった。その時点で候補者はすでに５、６人になっていたようだ。松竹大船撮影所に行って撮影所を見せてもらい、その後にカメラテストを初体験。そしてなんと最後の３人の候補に残ってしまった。最初は学校が休めるということで嬉しかったのに、だんだん不安になっていった。ほかの子供達はほとんど子供劇団に入っているような子供たちで、みんな真剣で演技もうまく、僕のように学校が休めるからなんて了見の子はいなかったのだ。<br /><br />

　結局、最終的に主役は藤川君という少年に決まった。ああ良かったという思いでいたところ、僕には少年Aと言う役が振られて、映画に出ることになった。それに一言だけだが台詞もあった。多分いくつかのシーンに出たのだろう京浜工業地帯で行われたロケにも何回か参加した。映画が完成して銀座の松竹本社での試写会でその映画を観たが、一瞬だが画面に出てくる自分が浮いているような気がして、観ていて辛かった。後で親父が、「浩はあの経験があったから今のような仕事を選んだのだろう」と言っていたが、この映画の経験は僕にとってはほぼ一月間の楽しい体験でしかなかった。その後の僕の生活はまた音楽と乗り物へと戻っていった。<br /><br />

<div class="memo"><img alt=asada_jacket.jpg" src="/style/columns/images/asada_jacket.jpg" width="127" height="112" /><h3>[近況メモ]</h3><p>Tom's Cabinからエイモス・ギャレットのCDを発売しました。エイモスのライフワークともいえるパーシー・メイフィールドのトリビュート盤です。
各メディアでも絶賛してもらっている本当に素晴らしいアルバムです。
ギタープレイだけでなく渋い歌声とパーシーへのレスペクトが味わい深い秋の夜にお
勧めの１枚です。<br />
<a href="http://www.toms-cabin.com/" target="_blank">http://www.toms-cabin.com/</a></p></div>
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   <title>お宝でるか？ガラクタか？〜第3回</title>
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   <published>2008-08-26T02:13:23Z</published>
   <updated>2008-08-26T02:14:29Z</updated>
   
   <summary> 　「ハロー！アイム・ジョニー・キャッシュ」   　2003年9月12日、亡くな...</summary>
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      <![CDATA[<script type="text/javascript" src="/style/columns/2/js/popup_01.js"></script>
<img src="/style/columns/2/images/080827/main.jpg" width="200" border="0" style="border:0px;" />

　「ハロー！アイム・ジョニー・キャッシュ」<br /> <br /> 

　2003年9月12日、亡くなってからすでに5年もたつのですね。<br /> 
愛妻ジューン・カーター・キャッシュが神に召されてから約4ヶ月後、彼女のあとを追うようにこの世を去ったジョニー・キャッシュ。映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」でもしっかりと描かれていたジョニーとジューンの夫婦愛。状況は異なるでしょうが、ふっと評論家江藤淳先生のこと、思います。<br /> <br /> 

　ジョニー・キャッシュ、伝説の人。本年4月発売されたDVD「ジョニー・キャッシュＴＶショー」がなかなかの評判。1969年6月から3年間、ABCテレビ・ネットワークで放映されたテレビ番組の名演を約4時間強にまとめたもの。<br /> <br /> 

　これまで海賊版ビデオとして、ファンの間ではけっこう出回っていたものの、正規のお目見えはこれが初めて。豪華ゲストの名演が次々に楽しめます。<br /> <br /> 

　年の離れた兄さんと一緒のようなボブ・ディラン。くったくないスティービー・ワンダー。しっかりとアウト・ローしているニール・ヤング。カチンカチンに緊張しているエリック・クラプトン。カントリー＆ウェスターン（C&W）のファン層を拡大してくれたレイ・チャールズ。クリス・クリストファーソン、ロイ・オービソン、エヴァリー・ブラザースなどのC&W音楽仲間たち。そして近代C&W生みの親といわれるジミー・ロジャースの名曲「ブルー・ヨーデル＃9」を一緒に歌うルイ・アームストロングとジョニー・キャッシュのデュエットは圧巻、歴史の一コマ。この辺にアメリカン・ミュージックの底力、感じます。
<br /> <br /> 
　この番組が収録されたのはC&W音楽の聖地とよばれるナッシュビル・ライマン公会堂。<br /> <br /> 
　同じ聖地でも、日本でボクシング界の聖地とよばれているのは、東京水道橋後楽園ホール。その後楽園ホールで、1962年11月、ジョニー・キャッシュがコンサートを開いたんです。コンサート、いまでいうライブですな。当時は、東京近辺にも多くのアメリカ軍基地が残っていて、そこの兵隊さんたちを楽しませるために、多くの人気歌手たちがアメリカ本土からやって来て、基地内で慰問ショーをやっていました。余分な時間があれば、日本人のために普通の会場でライブ・ショーを行うのが通例だったようです。確かベンチャーズも、一回目は慰問関連の来日だったような記憶ありますが、違いましたっけ？新安保条約が結ばれ、世の中騒然としていた頃なのに、音楽の世界は平和というか、ノンポリというか、人類みな友達でした。<br /> <br /> 

　「ジョニー・キャッシュ来日。後楽園ジムで一回限りの公演。入場無料」というとんでもない告知を新聞で見つけて、すぐさま応募。当時はそんなにファンは多くなかったのか、友達と二人分、なんとか切符を手に入れることができた。ジョニー・キャッシュの声を聴いたのは、駐留軍ラジオ放送、そしてビクターがサン・レーベルを発売してくれていたからです。語るようにうねるように歌う太く濃い低音。ギターとベースでリズムを刻むバック・バンド、テネシー・ツゥー。<br /> <br /> 

　ジョニー・キャッシュは、決してロックン・ロール音楽をやっていたわけではないのに、アウト・ローの雰囲気ただよう彼独特のキャラクターが完全にロックン・ロールしていた。私、すっかりファンでした。<br /> <br /> 

　当時気にいっていた曲は、キャッシュの友人そしてレコード・プロデューサーだったジャック・クレメントが彼のために作ったいくつかのポップ系ヒット曲。あとで知るのですが、“カウボーイ”というニックネームを持つこのジャック・クレメントも大変な才能を持つ反逆児“アウト・ロー”だったようです。<br /> <br /> 

　その頃からおなじみの「ハロー、アイム・ジョニー・キャッシュ！」で始まったジョニー・キャッシュ・コンサート。ベース担当マーシャル・グランド、エレクトリック・ギターはルーサー・パーキンスそしてドラムスにW.S.ホランドが加わったテネシー・スリーがバック。聴きたかったクレメント作の曲はもちろん、「アイ・ウォーク・ザ・ライン」「ビッグ・リヴァー」「クライ・クライ・クライ」「町に銃を持って行くな」、サン・レーベル時代から移籍したコロムビアの新曲までおなじみの曲がいっぱい。一番の印象は「世の中にこんなカッコ良くギターを持つ人がいるなんて信じられん」ということでした。<br /> <br /> 

　興奮さめやらぬまま楽屋口でしばらく待って、そのために持っていったLPレコードにサインをもらい、一緒に写真を撮ってもらった。ものすごくデッカイ人でした。そのジョニー・キャッシュのサイン入りLPを3種類、レコード棚整理で発見。彼のデビュー・アルバム「His Hot And Blue Guitar」には45年ぶりのごたいめ～ん、お懐かしゅうございます。<br /> <br /> 
　早速ターンテーブルにのせてみましょう。<br /> ]]>
      
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   <title>鉱石ラジオ</title>
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   <published>2008-06-09T05:45:48Z</published>
   <updated>2008-06-09T05:54:16Z</updated>
   
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      <![CDATA[<table width="100%" border="0">
  <tr>
    <td><table width="100%" border="0">
      <tr>
        <td width="270" valign="top"><table width="270" border="0">
          <tr>
            <td><a href="http://e-days.cc/style/columns/images/record_1.html" onclick="window.open('http://e-days.cc/style/columns/images/record_1.html','popup','width=620,height=600,scrollbars=yes,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img alt="small_1.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/small_1.jpg" width="260" height="325" /> </a></td>
          </tr>
          <tr>
            <td><a href="http://e-days.cc/style/columns/images/record_2.html" onclick="window.open('http://e-days.cc/style/columns/images/record_2.html','popup','width=620,height=700,scrollbars=yes,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img alt="small_2.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/small_2.jpg" width="260" height="325" /></a></td>
          </tr>
          <tr>
            <td>※クリックすると拡大写真が表示されます</td>
          </tr>
        </table></td>
        <td valign="top">　音楽の方はと言うと中学に入って何人かの音楽好き、ポップス好きとも友達になったが、当時の日本ではポップスと言っても映画音楽が主流だったので友人達の聴いていたのは映画音楽が多かったような気がする。『ユア・ヒットパレード』などと言う音楽番組でさえ、チャートに入っているのはほとんど映画の主題歌だったと思う。随分と長い間「エデンの東」がチャートに入っていたり、「第三の男」だとか「マルセリーノの唄」とかどちらかというとヨーロッパものが多かった気がする。だから友人達が聞いていたポップスと、自分の聞いていたアメリカンポップスとのギャップを埋めるべく友人達に「アメリカンポップスの方がかっこ良いからFENを聞きなよ。」とFENの宣伝マンみたいな事を言ったりしていた。<br /><br />

　以前に書いたように、小学校高学年だった頃は耳から入ってくる音楽を自然に聞いていた訳だし、特にアメリカのポップスは従兄の所で聞くくらいで自分からはそんなに熱心に聞かなかったのだが、知らず知らずに覚えていたポップスの方が、映画音楽より好きだしかっこ良いという気持ちがあったようだ。そうして友人に進めているうちに自分で聞かないとまずいなと思いだし、だんだんFENをまじめに聞くようになった。友人達の手前もあったけど自分でもだんだん興味が出て来たのでだろう。そしてもっと聞きたいなと思い従兄に鉱石ラジオを作ってもらって（当時はキットで売っていた）片方の耳にイヤホーンを入れて積極的にFENを聞くようになった。当時普通の家はラジオはひとつしかなく、我が家はNHK派だったから自分の思うようにFENを聞けなかったので、従兄に鉱石ラジオを作ってもらった。あまり感度の良いものではなかったけど、自分の思うような番組が聞ける事が嬉しくてますますFENにのめり込んでいった。<br /><br />

　当時のFENの音楽はポップスとカントリーが多かったと思う。自分に興味がなかったからなのかよく分らないが、あまりジャズがかかっていたという記憶がない。それに比べてカントリーはかなりかかっていたような気がする。これは聞いた話だから確かでないが、当時の兵隊は貧しかった南部出身者が多く、彼らの為にFENではカントリー音楽が良くかかっていたという事だ。土曜の夜は確か『ハワイコールス』から始まって『グランド・オール・オープリー』『トップ20』までラジオと言うよリ、イヤホーンを耳から離せなかった。また『ホンシュウ・へイライド』とか、毎日朝早く（確か5時頃か）からやっていたカントリーの番組も(FENで早朝放送していたカントリー番組は『バーンヤード・ジャンボリー』だった。月曜から金曜まで朝5:05〜6:00迄やっていた＜※島田耕さん情報＞)布団の中から鉱石ラジオで聞いた。<br /><br /></td>
      </tr>
    </table></td>
  </tr>
  <tr>
    <td>　その頃から僕は、ノートを枕元に置いといて、トップ20はもちろん朝早くのカントリーも曲目を全て書き込む様になった。もちろん中学生だかから英語の知識も少なくわからない所は日本語で書いたりしていた。これは後で知ったのだが、大宅映子さんも評論家の島田耕さんも、そうしていたらしく、みんな同じ事をやっていたんだと変に納得した事を覚えている。そして1958年にラジオ関東というラジオ局が誕生して、そこでも『バンドスタンドUSA』という番組とともに『ウエスタンジャンボリー』という番組が始まって、ますますポップスとカントリーに嵌まっていった。そうなるとやはり自分で好きな曲を聴きたくなり、お年玉に親に出してもらったお金をたして、念願のプレーヤーを買った。それが多分中学の2年ぐらいの時だ。最初に買ったプレーヤーはいわゆる安物のプレーヤーで、スピーカーが一緒についている子供のおもちゃのようなもので、多分LPもかけられたとは思うが当時は高価なLPは買えずに、最初は親戚で貰ってきたシングル盤をかけていた。でもそのうちやはり自分が聞きたいレコードが欲しくなりレコードを買ようになった。<br /><br />

　先日実家へ行って昔のシングル盤を持って帰ってきた。どれを最初に買ったかは思い出せず、また後にLPを聞くようになって随分シングル盤を売ったので確かではないが、時代的に見てパット・ブーンだと思う。ちなみに残っていたシングル盤は年代順に並べると、Teenage Boogie/Webb Pierce、North Wind/Texas Bill Strength、Sixteen Tons/T.E Ford、I'll be home/Pat Boone、April Love/Pat Boone、Volare/The McGuire Sisters、Sittin' In The Balcony/Eddie Cochran、Moonlight Swim/Tony Perkins、Poor Little Fool/Ricky Nelson、Sweeter Than You/Ricky Nelson, Never Be Anyone Else But You/Ricky Nelson, Mr. Blue/THE FLEETWOODS , Just Ask Your Heart/Frankie Avalon, Be My Guest/Fats Domino、The Diary/Neil Sedaka、Goodbye Jimmy Goodbye/Kathy Linden、Forty Days/Ronnie Hawkins、Handy Man/Jimmy jonesとLonely Blue Boy/Conway Twittyのカップリング盤、Walk Right BackとEBONY EYES(両面ヒット）/The Everly Brothers等で比較的ハンサムで甘い男性ボーカルが多い。確かに自分の記憶の中でもプレスリーのシングルを買った記憶がないので当時はその手が好きだったのかも。ただ後にまとめて売ったシングルはほとんどが黒人のポップグループだったのでその手のグループでもっと早く買っていたものがあったかもしれない。古くはプラターズ、ミルス・ブラザーズ、ドリフターズ、マーサとバンデラス、シュレルスなどは本当に好きだった。また中にはロニー・ホーキンズとかファッツ・ドミノ、コンウェイ・トゥ・イッティ（当時はカントリー歌手でなくロカビリー歌手）といったちょっと通好みのものもあって、当時から僕の音楽の趣向が雑食だというのが分かる。<br /><br />

写真：中学時代に買ったシングル盤<br /><br />

<div class="memo"><img alt="asada_jeff_car.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/asada_jeff_car.jpg" width="127" height="95" />
<h3>[近況メモ]</h3><p> 自分で車を運転してジェフ・マルダーと二人で全国ツアー中。
各地でグルメ三昧。車中でジェフから聞くシーンの裏話を楽しんでいる。
<br />ツアー詳細  <a href="http://www.toms-cabin.com/" target="_blank">http://www.toms-cabin.com/</a>
</p></div></td>
  </tr>
</table>]]>
      
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   <title>お宝でるか？ガラクタか？〜第2回</title>
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   <published>2008-06-04T09:45:38Z</published>
   <updated>2008-06-04T09:46:37Z</updated>
   
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      <![CDATA[<script type="text/javascript" src="/style/columns/2/js/popup_01.js"></script>
<img src="/style/columns/2/images/080604/main.jpg" width="200" border="0" style="border:0px;" />

　さてさて、カビつきのSPレコード。SPレコードって、ご存知？1分間に78回転も回ります。あまり回るので染之助・染太郎もビックリ！とっても厚手の硬い素材で作られた割れやすいもの。録音時間は、片面約5分程度。だからクラシックの交響曲を聴く時なんて、レコードの交換がひと仕事。それも大昔はレコード・プレーヤが電動ではなく、ぜんまいバネで動く手回し蓄音機。ぜんまいが緩むと、スピードも落ちる。だから聴きながらぜんまいを巻く。巻きながらレコードも次のものに取り換えなくてはならない。聴きながら全部やる。もう忙しいったらありゃしない。<br /> 
<br /> 
　そんな1954年、12歳の誕生日、親から買ってもらったプレゼント、SPレコード2枚。おやじ、きっと無理したのだろう、子供には過ぎたもの。感謝！といっても親、いない。ウーム。<br /> 
　<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup5(); return false;">一枚はエームス・ブラザースの歌う「ユー・ユー・ユー」</a>。もう一枚が<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup6(); return false;">レス・ポール＆メリー・フォードの「ヴァイヤ・コン・ディオス」</a>。<br /> 
　振り返ってみれば、この2枚から、僕の音楽好き人生が、本格的に始まったのかも知れない。いわば原点ですね。<br />  
<br /> 
　音楽の三大要素は小学校で習ったリズム、メロディー、ハーモニー。男性4人組エームス・ブラザースから教えてもらったのはこのうちのハーモニー。<br />  
　脈々と続くアメリカ・ポピュラー音楽の歴史は、移民たちが祖国から持ってきた音楽の交配で出来上がったもの。一つの歌をみなで歌うという行為も、知らないひと同士をくっつけるコミュニケーションとして、大変に役にたったのでしょう。欧米の人って、ほんと、みんなで一緒に歌うのが好き。カラオケでも、一人で陶酔して歌うというより、皆で大合唱の方が好きみたい。なんて賑やかな人達なんでしょう。日本人、ほんと、見習いたい！<br /> 
<br /> 
　「ユー・ユー・ユー」は、恥ずかしながら、僕にとって忘れられない曲なんです。中学校音楽の時間、楽器の演奏会というのがあって、各人それぞれ好きな楽器を演奏することが課題。僕は先生に「口笛でも良いですか？」とたずねました。口笛が大好きだったのです。「もちろん・・・」と先生。それでこの「ユー・ユー・ユー」を吹きました。で、なんと一等賞になって学校放送でオンエア。僕の口笛が校内に流れました。考えてみれば、あれが初めてマイクの前に立った時でした。<br /> 
<br /> 
　もう1枚のSP盤。ロックン・ロールで一番人気の楽器がエレクトリック・ギターになったのにはレス・ポールの貢献度大。決してロックン・ロール音楽畑の人ではないけれど、1988年「ロックの殿堂」入りしたのも当然といえば当然。彼は「エレキ・ギターの父」そして「多重録音の父」ですね。<br /> 
　まだ半ズボンはいてハナたらしてトンボを捕っていた小学生の頃聞いたレス・ポール＆メリー・フォード1951年の大ヒット「モッキンバード・ヒル」のメロディやギターの音色。そして早弾きでは「世界は日の出をまっている」などというヒット曲、子供心にもとっても新鮮、強烈な印象がありました。<br /> 
　その時代のギブソン・レス・ポール・モデル・ギターというのは、いまや何千万円もするとか！？！ホンマですか？<br /> 
<br /> 
　数年前に発売された「レス・ポール＆フレンド」というトリビュートCD，キース・リチャード、リッチー・サンボラ、スティーブ・ミラー、スティング、ジェッフ・ベック、Z.Z・トップなどなど豪華メンバー。それにエリック・クラプトンとサム・クックがレス・ポールと共演するだって・・・デジタル技術は凄い。正に音のSFX、VFXですな。<br /> 
　御歳92歳のレス・ポールさん、いまでも毎週月曜日、夜8時と10時の2回、ニューヨークのジャズ・クラブ「イリジウム」で元気なプレイを聴かせてくれているそうです。彼のプレイを見ること、それが僕の「ウイッシュ・リスト」、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の最新映画「最高の人生の見つけ方」風にいえば「バケット・リスト」というのでしょうか、それに入っているんです。うーん、実現に向けて、もうチョイふんばろう！<br /> <br /> <br /> 
<hr />
<font style="font-size: 10px;">●写真解説<br />
NYのクラブ「Iridium（イリジウム）」で今もライブを続けるレス・ポール。写真は2005年6月6日撮影。</font><br />]]>
      
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   <title>乗り物に夢中だった中学校時代</title>
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   <published>2008-05-22T06:06:38Z</published>
   <updated>2008-05-22T06:07:07Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-days.cc/style/columns/">
      <![CDATA[<img alt="カタログ" src="http://e-days.cc/style/columns/images/asada_car.jpg" width="269" height="767" />　中学から東京の明治学院に通うようになって、当然小学校と違う友人達ができ行動半径も広がった。つまりそれまでの綱島中心の歩く行動半径から電車を使っての行動へと大きく変わったのだ。電車通学は綱島から東横線に乗り、田園調布で目蒲線に乗り換えて目黒まで、そこから都バスで白金の明治学院までの往復が僕の日課になった。それと日曜日に教会に行く事を学校で義務づけられ、こちらは横浜の指路教会という教会へ毎日曜日に通った。<br /><br />

 　小さい頃から乗り物好きだった僕は、電車に乗るだけで楽しかったし、よく一番前の運転席がみれる所に乗って運転手の一挙一動を見逃すまいと見ていたりした。ちょうどその頃従兄達の何人かがバイクや車を持つようになった。僕は当然のように彼等のラビットやメグロ、そしてシトロエンの2CVに乗せてもらいに親戚の家に行った。特に2CVは屋根の幌を空けて走る開放感がたまらなく何度も乗せてもらった。2CVは祖母の家のある保土ヶ谷ではルノーと共にタクシーに使われていて、時々祖母と一緒だとそれに乗れたのだが、晴れていると運転手さんに言って幌を明けてもらったりした。<br /><br />

 　またその当時従兄の居る親戚の家ではJapan Timesという英字新聞を取っていて、そこによく外車の広告が載っていて、行くと必ずそれを切り抜いて家へ持ち帰った。本当に小さな広告だったが当時のアメリカの車は毎年のようにモデルチェンジをしていたし、GM、フォード、クライスラーと言った3大メーカーの他にもいくつかのメーカーがあってモデルも多かったので、それらの広告を見るのがすごく楽しみで、スクラップしてずっと取ってあった。それらのスクラップは後にカーグラフィック誌の5年分くらいと一緒に、親しくさせてもらっていたイラストレーターの穂積和夫さんに差し上げた。<br /><br />

 　中学の新しい友人達の中にも僕と同じように乗り物好きがいて、特に木内君と言う友人とは二人して良く自動車の話をした。1年のときにその友人と一緒にモーターショーに行った。確か日比谷公園だったと思うがそこで自動車にカタログというものがある事を知った。その時は子供だったせいか、いわゆるパンフレットのようなものしか貰えなかったが、実はもっと厚いカタログがある事をしり、それからは毎日のように都電やバスを乗り継いでカタログをもらいに、当時の自動車屋さんのメッカ品川、赤坂へと向かった。品川のトヨペットのディラーで最初のカタログを貰った時は嬉しくて、家へ帰るまで電車の中で何度も何度もそのカタログを見た。<br /><br />

　最初は国産車だったのがそのうち赤坂辺りの輸入車を扱うディーラーへも行くようになり、一年遅れのカタログ等をもらうようになる。国際モータース、東洋モータース、他赤坂周辺には多くの輸入車ディーラーがあり、何度も通ううちに受付のお姉さん達も僕らを覚えてくれて新しいカタログをくれるようになった。確か一番始めに貰った外車のカタログはプリムスかダッジのものだった。そんなに厚くはなかったし日本語も入っていたような記憶があるから日本で作ったカタログだったのかもしれない。それに当時のアメリカ車は毎年の様にモデルチェンジをしていたから古いカタログはいらなくなったのだろうが、一年遅れであろうと僕らにとってはあこがれの外車のカタログだったから何度も何度も見返して楽しんだ。アメリカ車はその頃テールフィンが上へ上へとのびていた時期で、次はどうなるのだろうと新しく出るモデルを毎年楽しみに待っていた。<br /><br />

写真：プリムスの雑誌広告（上）1955年型（下）1956年型<br /><br />

<div class="memo"><img alt="asada_birds.jpg" src="http://e-days.cc/style/columns/images/asada_birds.jpg" width="127" height="96" /><h3>[近況メモ]</h3><p> 元バーズのクリス・ヒルマンとハーブ・ペダーセンのジャパンツアー終了。<br />久しぶりにウエスト・コースト・サウンドを堪能した。<br />
大人の味の出たヴォーカルのクリスと、素晴らしいリズムギターとハーモニーのハーブ。<br />
二人のリラックスしたステージの心地よさが時間の経つのを忘れさせる。<br />
次のツアーはこれまたベテランのジェフ・マルダーとの二人旅。また極上の大人の時間を過ごせそうだ。<br />Toms cabin  <a href="http://www.toms-cabin.com/" target="_blank">http://www.toms-cabin.com/</a>
</p></div>]]>
      
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   <title>お宝でるかガラクタか～想い出はレコード棚に</title>
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   <published>2008-05-19T06:08:01Z</published>
   <updated>2008-06-04T09:48:19Z</updated>
   
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<img src="/style/columns/2/images/080519/main.jpg" width="200" height="1050" style="border:0px;" />　これこれ、これを探していたんです。<br /><br />
　トシとってフッと自分のまわりを見て気がつくことは、やはり、整理整頓ですね。ややこしいのは人間関係ですけれど、僕の場合は、音楽資料。つまりレコードや本、雑誌などなどの整理なんです。<br /><br />
　「そういうものって、実家に置いてある」という人もいるでしょう。それそれ、そのたぐいのもの。昔自分が好きだったアイドルのレコードとかブロマイド(なんて言葉いまあるの？)とか、プラモとか、実家にはあるけれどいまの家には置いてない。たまに実家に帰ってそんなものを発見すると、昔の自分に遇ったよう。「おいおい、おまえさん、よく無事でいてくれたねぇ」と思わず抱きしめたくなる、そんなようなもの。<br /><br />
　ずーっと昔々、中学生の頃からロックン・ロール音楽が好きだったおかげで、独身時代の僕の部屋にはたくさんのレコードや雑誌がありました。その上、ラジオ番組の制作や「オールナイトニッポン」のDJをやったりしていた関係で、音楽資料、増えることはあっても減ることはなかった。番組制作やDJの仕事を辞める時、結婚して実家を出る時、一度はこれらのもの、処理しようと思ったことがありました。でも、結局は処分するにしのびず、以来、なぜかずっと一緒。<br /><br />
　自分は大瀧詠一さんや山下達郎さんのようなミュージシャンでもないし、クラシック・ロック研究家でもないし、レコード・コレクターでもないから、いわゆるオークションで高価取引されるようなものはほとんど出てこないとは思うけれど、ずっとリアルタイムでポップス音楽を聴いてきたから、ことによって珍品、奇品が出てくるかも知れない。とりあえずLP盤は「紙ジャケ」ばかりです。そんなこと、あたりまえだのクラッカー？！？う〜ん、おぬしも古いのう！<br /><br />
　最近はライノやベア・ファミリーなど、きわめてしっかりしたレーベルから、詳細なライナーノートやいろいろな特典、ボーナス・トラックがついた復刻版CDが発売されるので、僕もアナログで音楽を聴くことは、ほとんどなくなりました。でも、いつかきっと、このレコードやらなにやらをきっちり整理して、もう一度、アナログ・ターンテーブルを回してのんびりゆっくり聴いてみたい。<br /><br />
　そんな話をe-days編集長にお話ししたら「それ、面白い！それ書いてください」。つまりラジオ風にいうと「カメのレコード棚整理の実況中継」ですかね、これをテーマにコラムを書いてみないかというありがたい提案。そんないい加減な企画でよいのか！そう、これで良いのだ。ゴチャゴチャだった音楽資料を整理出来てコラムも書ける。こんなに素晴らしいことがあってよいのでしょうか。<br />
　うーん、やっぱり、よいのだ！神様、ありがとうございます。<br /><br />
　だからといって、古いことばかり書くのもどんなもんだかねぇ。とはいっても、新しい音楽は、ほとんど聴いていないし。若いバンドなんか、どっちがバンド名でどっちが曲タイトルだか、よくわからんのです。日本のJ-POPだって、KAT-TUNと嵐と関ジャニの区別もよくつきません。その昔、ビートルズとローリング・ストーンズの区別がつかない大人を見て、「ウソみたい、音もルックスもぜんぜん違うのに、どうしてわからないの」と思ったものでした。いま同じことが自分に起こっているようです。ほんと、複雑な世の中になったもんです。イヤ、結局、私が、ジジイになったのでしょう。しょうがないねぇ。<br /><br />
　ということで音楽資料、整理作業にかかりました。そして初回。<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup1(); return false;">ドーンと出てきたのがボロボロの段ボール箱に入っていた40枚ほどのSPレコード。</a><br /><br />
　凄いことになっています。カビつきもあります。主に父や母が聴いていたもの。<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup2(); return false;">パティ・ページの「ワンワン・ワルツ」</a>は歌手とワンちゃんの写真つき。エンタメ業界は、商品を少しでも差別化しよう、目立たせようと、昔っから頑張っています。<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup3(); return false;">ローズマリー・クルーニー。オスカー俳優ジョージ・クルーニーの叔母さんってこの人。彼女が歌う「カモナ・マイ・ハウス」</a>も出てきた。<br /><br />
　<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup4(); return false;">雪村いずみさんが歌う「月の光〜トラン・ブーラン」。これは自分で買った数少ない邦楽の一枚。メロディーが素晴らしかった。これも、いずみさんの写真入りSP盤。</a><br /><br />
　音楽好きな方なら、初めて買ったレコード、きっと覚えていますよね、初恋の人みたいに。その後ヘビメタ・ファンになったのに初めて買ったレコードは麻丘めぐみだったとか、ザ・フーが大好きだったが初めて買ったレコードはマギー・ミネンコだったとか、初めてって、嬉し恥ずかし懐しいものです。<br /><br />
　いまや音楽の流通、ジャケットもなんにもないデータだけをやりとりする時代が近づいてきています。ダウン・ロードの時代になっても、初めてダウンロードした音楽を、人は覚えているものなのでしょうか？少なくとも実家の押し入れにしまっておくことはないでしょう。<br /><br />
　おっとー、1954年、僕が12歳の誕生日プレゼントでもらったレコード、発見！<br /><br />
　<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup5(); return false;">エームス・ブラザースの歌う「ユー・ユー・ユー」</a>。<a href="javascript:void(0);" onclick="open_popup6(); return false;">レス・ポール＆メリー・フォードの「ヴァイヤ・コンディオス」の2枚。2組ともポピュラー音楽の歴史を作ったアーティスト。</a>この2枚でハーモニーを知ってエレキ・ギターを知った僕の音楽生活の原点。<br /><br />
　ということで、なんだか遺跡の発掘作業みたいになってきました。21世紀も8年経ち、昔を知っている人も少なくなりました。古いこと書くと思いますが、なんとかお許しを。大目にみてやってください。叱咤激励、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。<br />
<br /><br />（この項つづく）<br /> <br />
<hr />
<font style="font-size: 10px;">●写真解説<br />
【１】
ドーンと出てきたのがボロボロの段ボール箱に入っていた40枚ほどのSPレコード。これを探していたんです<br />
【２】
主に父や母が聴いていたパティ・ページの｢ワンワン･ワルツ｣は歌手とワンちゃんの写真つき<br />
【３】
ジョージ・クルーニーの叔母さん、ローズマリー・クルーニーが歌う「カモナ・マイ・ハウス」<br />
【４】
自分で買った数少ない邦楽の１枚、雪村いずみさんの写真入りＳＰ盤「月の光～トラン・ブーラン」<br />
【５】
12歳の誕生日にプレゼントしてもらったエームス・ブラザーズの「ユー・ユー・ユー」。
この１枚でハーモニーについて知りました<br />
【６】
レス・ポール＆メリー・フォードの「ヴァイア・コンディオス」。この１枚でエレキ・ギターについて知りました</p></font>]]>
      
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