<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<?xml-stylesheet type="text/xsl" media="screen" href="/~d/styles/rss1japanesefull.xsl"?><?xml-stylesheet type="text/css" media="screen" href="http://feeds.feedburner.com/~d/styles/itemcontent.css"?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:syn="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/" xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/">
<title>松山ユネスコ協会</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/</link>
<description>人の心の中に平和のとりでを築こう！
</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://blog.livedoor.com/?v=2.0" />

<items>
 <rdf:Seq>
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51883202.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875955.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875953.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51871030.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51867685.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866511.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866504.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51864983.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51860665.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51852399.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964853.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51631959.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817962.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964861.html" />
  <rdf:li rdf:resource="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817969.html" />
 </rdf:Seq>
</items>
<atom10:link xmlns:atom10="http://www.w3.org/2005/Atom" rel="self" type="application/rdf+xml" href="http://feeds.feedburner.com/m-unesco" /><feedburner:info xmlns:feedburner="http://rssnamespace.org/feedburner/ext/1.0" uri="m-unesco" /><atom10:link xmlns:atom10="http://www.w3.org/2005/Atom" rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" /><cc:license xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" cc:license="http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.0/" /><image rdf:resource="http://creativecommons.org/images/public/somerights20.gif" /></channel>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51883202.html">
<title>わたしの好きな絵投票結果発表</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51883202.html</link>
<description>1月13日から15日にフジグラン松山ギャラリーで開催した絵画展で小学生が選んだわたしの好きな絵は松山市立椿中学校の末光結さんの絵でした。鉛筆だけで描かれた鉛筆画はちびっ子たちから凄いとの評価でした。
</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2012-01-18T20:09:18+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/8/c/8c0e0bbf.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展 003" hspace="5" class="pict"  /><br /><img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/7/e/7ecad6e3.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展 002" hspace="5" class="pict"  /><br />1月13日から15日にフジグラン松山ギャラリーで開催した絵画展で小学生が選んだわたしの好きな絵は松山市立椿中学校の末光結さんの絵でした。鉛筆だけで描かれた鉛筆画はちびっ子たちから凄いとの評価でした。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51883202" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875955.html">
<title>語りべ高橋昭博さんのメッセージ2002その３</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875955.html</link>
<description>
　はい、今スライドを見ていただきましたけれども、私はたくさんの病気を抱えながら、火傷の痕を体に残しながら、なんとかこの５７年間を生きながらえてきました。スライドでも説明しましたように、私のクラス約６０名おりましたけれども、現在は生き残っているのは私を含...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-12-12T21:11:31+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[<br>
　はい、今スライドを見ていただきましたけれども、私はたくさんの病気を抱えながら、火傷の痕を体に残しながら、なんとかこの５７年間を生きながらえてきました。スライドでも説明しましたように、私のクラス約６０名おりましたけれども、現在は生き残っているのは私を含めて１４名。わずかな生き残りの一人です。もう少し生き残っていると思いますが、行方がわからない友だちもいます。５０名近くはあの原爆によって無残にも殺されていったわけです。あえてアメリカが殺したとは言いませんけれども、私の友だちは無残にも原爆によって殺されていきました。アメリカの原爆投下はまさにテロです。テロ行為です。昨年の９月１１日に起こった、あの同時多発テロと同じ、同じことをアメリカはやったんですよ、広島・長崎で。それはね、なぜ私たちがそう言うかといいますと、無警告で、先ほども言いましたでしょ、警戒警報・空襲警報は解除されたあとに、原爆を投下したんだから。いきなり投下されたんですから。<br>
<br>
　しかも、実験であるということです。広島・長崎への原爆投下は実験である、と。広島の原爆は先ほど言いましたように、リトルボーイ、ちびっこというあだ名をつけられたウラニウム型爆弾。長崎はファットマン、でぶっちょという愛称がつけられたプルトニウム型原子爆弾です。二つとも違うわけです。二つの違った原爆をわざわざ作りました。同じものを作ってもいいわけでしょ？　二つの違った原爆をアメリカはわざわざ作って、広島と長崎に違った原爆を投下して、どちらが原爆の威力があるのか、破壊力はどちらが強いのか、ということを実験して試したわけですから。これは明らかです。だから私たちは実験であると言うのです。<br>
<br>
　もう一つは、無傷の都市を選んだということです。無傷の都市というのは、傷がついていないということです。いわゆる戦災を受けてない都市、東京とか大阪とか名古屋は、焼夷弾攻撃を受けて、町の大半は焼け野原ですから、そういう都市は選ばないですね確かに。<br>
原爆の効果を試すためには、そういう場所は選びません。そういう馬鹿はいないでしょう、おそらく。ですから無傷の都市を選ぶ、それが京都、広島、長崎、小倉、新潟、…こういう都市なんです。だから焼夷弾攻撃を受けていない都市、しかも「今後は焼夷弾攻撃をかけてはならない」という禁止が出たわけですよ、アメリカから。「こういう都市に対しては、禁止する。焼夷弾攻撃は禁止する。」だから、原爆投下用に温存したということですね。京都、広島、あるいは、小倉、長崎、新潟、こういう都市は温存された、と。これは実験でしょう？　実験のために温存したわけです。<br>
<br>
　そして三つめは、市民が標的になったということです。軍需施設、工業地域、もちろんそれらは対象ですけれども、同時に密集する家屋がある町の中心部に原爆を投下しろ、という命令が下ったわけですから。密集する家屋というのは、まさに一般市民です。<br>
<br>
　この三つの点において、原爆投下は明らかに実験であり、テロ行為です。そういうことなんですよ。<br>
<br>
　しかし私たちは、アメリカに対する憎しみ越えてきました。越えてきました。消すことはできないでしょうね。憎しみを消し去ることはできないと思いますが、しかし越えること、乗り越えることはできるはずだから。憎しみを乗り越えて、ひたすら核兵器廃絶、戦争反対ということを言い続けてきたわけです。憎しみのあるところに平和はありません。憎しみで憎しみを消し去ることは決してできない、ということです。<br>
<br>
　ですから、皆さんはせっかく広島に来ていただいて、広島で原爆や戦争の恐ろしさを学んでいただく、と同時に私は、命の大切さを学んで帰っていただきたいと思います。当時の中学生・女学生がね、無残にも殺されていったんですよ。普通の死に方をしたんではありません。殺されたんです。無警告の中で殺されていった、そのことを通して、命の大切さを学んで帰っていただきたい。同時に、生きることの意味をもう一度再確認をしてみてください。広島で再確認をしてみていただきたい。中学生・女学生が、どんな思いで殺されていったのか。大人になる前になんにもできないで彼らは、死んでいったんです。そのことを通して、みなさんがこれから生きるというとはどういう意味があるのか、ということを広島でもう一度再確認をしてほしいと思います。<br>
<br>
　そして、広島を原点として日本国内に目を向けてください。今、日本で何が起こっているのか？　さらに大きく目を開いて、世界を見つめてほしいと思います。広島・長崎だけではない、今日本で何が起こってますか？　日本は平和でしょうか？　世界は皆さんが考えても平和じゃないですね。日本は平和でしょうか？<br>
<br>
　皆さんは「平和」の意味を国語辞典で引いたことがありますか？　引いたことがある人ちょっと手を挙げてください。（誰も手が挙がらない）いないですね。私はこうやってお話をする学校や団体に質問をするんですよ。全くない！（辞典を引いたことが）学校なんか、先生もないです。先生でさえ「平和」の意味を国語辞典で引いたことがないんですから。それが教育者だろうかと思えますが、引いたことが全くない…。戦争の反対語が平和だと思っているんですよ。そうじゃない！私が持っている明解国語辞典には、二つの意味が書いてあります。一つは、心配やもめごとが無く、和やかな状態を平和という、と書いてあります。決して日本は心配やもめごとが無い状態ではないですね、いっぱいありますから。もう一つは、戦争や災害などが無く、不安を感じないで生活できる様子を平和という、と書いてあります。この二つの意味からして、日本は平和ですか？　平和じゃないですね、残念ながら…。心配やもめごとがいっぱいあって、不安があって、なんどき何が起こっても不思議ではない世の中になりました。<br>
　外務省の状況を見てください。警察の状況を見てください。経済の状況を見てください。<br>
金融破たんが起こっています。あるいは、医療ミスが相次いでいます。テレビを見れば、えらい人が頭を下げるシーンがいっぱい出てきます。こんな日本じゃなかった、と思うんですよ、私は。<br>
<br>
　教育の現場でもそうですよ。（ここへちょっとメモしてきたんですけど…）子どもの虐待が起こったり、誘拐が起こったりするでしょう？　昨年１年間で、３万４５９５件の校内暴力が記録されています。こんな日本が平和ですか！？<br>
<br>
　イジメのある学校、それは一種の戦争状況だと私は思います、その一つの学校が。子どもたちが争うわけですから、一種の戦争状況が学校にある、と同じです、イジメをするということは。いじめられる側は一人、いじめる側は数人でしょう？　アンケート調査で、いじめられた子どもがどういう回答をしているかと言ったら、「友だちに助けてほしい。」とあるそうです。両親や先生ではないんだそうです。友だちに助けてほしいと。それが友だちが知らん顔しているんです、学校の状況は。断絶があるんですよ。そういう学校は、平和じゃないですね。<br>
<br>
　教育を根本から変えなきゃいかん、そういう日本なんです、今。<br>
<br>
　災害もあるでしょ？　阪神大震災以来、幾多の災害が起こってきました。これも、こんな日本じゃなかったと思いますが。災害が多すぎる。私たちの広島県でも芸世地震が起こりました。あれから１年間たちました。三宅島、全島避難でしょ？　未だに全島避難ですよ。ふるさとに帰れない３６００人の島民がいらっしゃる。そんな状況の日本は平和じゃないです。<br>
<br>
　そういう平和じゃない条件がいっぱいあるんです日本には、残念ながら。戦争や核兵器が単に無くなれば、それで平和なんじゃない、ということなんです。それを変えていかなければなりません。変えていくのは、あなたがたですから、今度は。皆さんが変えていくことになります。変えていかなければ、とんだことになりかねない、ということですよ。<br>
<br>
　それでは世界の状況を見てごらんなさい。世界には戦争があり、核兵器があります。（これも私は記録をメモしてきたんですが…）武力紛争や内戦に巻き込まれて、この１０年で２００万人以上の子どもが殺されたそうです、世界で。６００万人以上が地雷などで負傷したそうです。安くて軽い武器が開発されたために、兵士や遣い走りとして、１８才未満の子どもが３０万人も武力紛争に駆り出されているそうです。子どもは命令に逆らわない、危険な前線に送られる、小さくて目立たない任務が与えられ、子ども同士が殺しあう、そういう状況が世界にはあるんですから。大変不幸ですよ。<br>
<br>
　そして核兵器。２００００発ぐらいあります。アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国、この５カ国。最近はインド、パキスタンが核実験を成功させて、インド、アジアにも核保有国が出てきました。２００００発…、９５％アメリカとソ連が持っています。これを全部使ったとします…、仮に全部使ったとしたら（２００００発の核兵器を）、世界の全人類約６０億が、１０回位殺せるそうです。１０回ですよ！　私たち日本人も例外ではありませんよ。それだけの破壊力を今の核兵器は持っているわけですから。そういう地球上に皆さん住んでいるんですよ。広島・長崎の原爆は、今の核兵器に比べたらおもちゃですよ、おもちゃに等しい。しかしそれでもなお、大変な被害が起こったのです。通常爆弾には見られない被害が起こったのです。後で原爆資料館で見てください。もし今、核兵器が使われたら、広島・長崎の比では済まされないのです。<br>
<br>
　しかもね、テロリストが核兵器を握ってごらん、どんなことになるのか…、恐ろしいですよ、背筋の寒くなる思いがします。テロリストがいっぱいいるんですよ、これは、残念ながら、世界には。彼らが核兵器を握ったら、果たしてどんなことになるんだろうか…。核兵器を持っている国の指導者は、一応理性がありますよ。これを使ったら、世界が破滅するぞ、という理性が。使ってはいけない、という…。だがしかし相手に対する威圧感で持っているわけです。相手の国に対して威圧をするために持っているんですよ、核兵器をね。使ったら最期ですよ。しかし、テロリストというのはそういう理性が無いですから、自分らの目的達成のためには何をしでかすかわからない人たちですから。そういう状態が世界にはまぎれもなくある、ということなんです。<br>
<br>
　そして地球温暖化。昨年だったか、石原慎太郎東京都知事と田原総一郎さんが、サンデープロジェクトで対談をしていて、７０年か８０年だそうです、地球がダメになるのは。いや、５０年説すらある、ということを言ってました。５０年で地球がダメになる、地球温暖化で。そういう状況がやってくる、と言うんですよ。だから京都議定書、それにに沿って各国が鋭意努力せねばいかんけれども、アメリカは離脱したでしょ？　ＣＴＢＴ、核兵器を持ってはいけない、という条約は否決ですよ。離脱をするんだ、というアメリカの一国主義というのは非常にはなはだしい、もう私は腹が立ってしょうがない。自分勝手、身勝手、と言いたいです。<br>
<br>
９月１１日のテロは、そういう身勝手なアメリカに対する痛烈な一撃だ、と私は思います。世界の国々が営々と築いていた国際的な枠組みがあるんです。こうしましょう、ああしましょう、という…。それをアメリカは全部離脱する、ユネスコは脱退する、国連の分担金は払わん。そんなアメリカ…。私はあれは痛烈な一撃だった、と思います。そしてアメリカは、反省どころか武力行使をやってしまった…。今のアメリカは狂っていますよ。ブッシュ政権になってから。そういう世界の状況でしょ？<br>
<br>
そして飢えに苦しむ子ども、難民、人権抑圧、暴力、などが世界にはあります。マザーテレサが、「１杯のコーヒー代で、飢えに苦しむ子どもの１０日の命が保障できます。」と、「だから皆さん募金に協力をしてください。」と言って彼女は世界をずっと歩いて行ったんですよ。１杯のコーヒー代で飢えに苦しむ子どもの１０日の命が保障できます、と。まあ、喫茶店に入って３００円から高いところで５００円でしょう、コーヒー１杯の値段はね。あなた、３００円で１０日のご飯食べられますか？（笑）私は食べられない。それができるんだそうです、発展途上国では。物価は日本よりはるかに低いでしょう。低くても、３００円で１０日のご飯は食べられないなぁ、日本人は。それだけやっぱり日本はね、豊かなんですよ。３００円出してください！　出せるでしょ！　ねぇ！（何人かうなずく）<br>
<br>
そういうことをやってほしんですよ。今、小さいところからやってほしいんです、平和のために。一気に世界平和はやって来ないから。やっぱり足元から築いていかなければなりません。それがやっぱり、３００円自分の小遣いを出すことが、平和への第一歩ですから。そういうことを皆さんでやってほしいんですよ。できたらみんなに、「一緒にやろうじゃないか！」と声をかけてください。それが皆さんにできることですよ。<br>
<br>
核兵器反対！　戦争反対！　それももちろんやらなきゃいかんけれども、皆さんにできることからやってほしい。探せばいっぱいありますから、できることが。私は今、一例を言っただけです。<br>
<br>
反捕鯨運動はね、アメリカの小さな町で、小学生の少年がここに（胸を指されて）札を下げて、街角にたったことによって始まったんですよ。小さな少年が学校に行く前に、毎日毎朝、その少年が立ったそうです、街角に。「鯨を捕らないで！」と書いた札を首にかけて、その少年は毎日立った。そこから世界的な反捕鯨運動は始まったんです。少年が始めたんですから、やればできるんですよ！<br>
<br>
私はそれをお願いして、お話を終わります。<br>
もし質問があったら、おっしゃってください。どうもご静聴ありがとうございました。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51875955" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875953.html">
<title>語りべ高橋昭博さんのメッセージ2002その２</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51875953.html</link>
<description>　それではスライドを表示します。

　それでは説明します。日本は長い間戦争をしてきました。昭和６年、１９３１年、満州事変というのが始まりでした。そして日中戦争へと拡大していきました。さらに、ハワイの真珠湾奇襲攻撃に始まった太平洋戦争。日本は１５年間にわた...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-12-12T21:08:50+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[　それではスライドを表示します。<br>
<br>
　それでは説明します。日本は長い間戦争をしてきました。昭和６年、１９３１年、満州事変というのが始まりでした。そして日中戦争へと拡大していきました。さらに、ハワイの真珠湾奇襲攻撃に始まった太平洋戦争。日本は１５年間にわたって戦争してきたわけですね。これはアジア太平洋戦争と呼びます。中でも、中国を始めとするアジア諸国に対しては、日本は侵略戦争を起こしていきました。朝鮮半島に対しては３６年間という長い間、植民地として支配をしてきました。日本は大きな過ちを犯しました。その戦争中、私は中学生であり、小学生でした。この「ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」というのは、私が小学校の時に習った教科書の一節です。こういう教科書で私たちは戦争中、軍国主義の教育を受けていました。軍国主義というのは、今のような民主主義の世の中ではないから、軍人が政治をしていたわけです。（次です）<br>
<br>
　私は小学生から中学生になりました。当時の中学生の男の子のほとんどは、軍人になろうと思っていました。茨城県霞ヶ浦というところに海軍少年航空隊がありました。私は中学を卒業して志願をして、その海軍少年航空兵にぜひなりたい、と強く願っていました。スライドの真中が夏服の制服、白い制帽、白い上着、白いズボン、上着のボタンは7つボタン、向かって左側が飛行機に乗るときの制服。大変かっこいいです。そういうかっこいい海軍少年航空兵になって、敵地に乗り込んでいって、敵兵を一人でも多く殺してやろうと、それが日本が戦争に勝つためには正しいことなんだ、必要なことなんだ、と当時私たちは学校の先生からそう教えられて、それを信じて生きてきました。だが日本は戦争に負けた、軍国主義に誤りがわかった。さらには、アジア諸国の国民の皆さんには、大きな苦しみと悲しみを与えたということもわかったのです。ですから、日本の戦争責任というのは、基本的には、日本政府ですね、国が戦争を起こしたわけですから、基本的には日本政府にあると思います。しかし、私自身、戦争中たとえ少年であったと言いながら、戦争中を生きてきた日本人の一人として、私自身も日本の戦争に対して深く反省をしなければなりません。人を殺すことが正しいことなんだと、そういう教育を受けたとは言え、そんな考え方を持ったこと自体やはりまちがいであったと、今では強く反省をしております。（次です）<br>
<br>
　戦争中、当時の中学生・女学生は、学校で勉強することよりも、街の中にある一般市民の家を壊す、建物取り壊し作業を政府の命令によってやっていました。その他、軍事工場に行って兵器を作るとか、農村の手伝いに行くとか、そういうことを中学生・女学生はやっていたわけですね。この絵は、建物取り壊し作業の絵です。家があって爆弾が投下されると火災が起きますから、家をどんどんどんどん壊していって空き地を作って、万一の場合にはその空き地を避難場所にするという政策が全国で行われていたのです。その家に住んでいる人たちは、自分の家でありながらも強制的に立ち退かされました。戦争中は政府の命令に絶対に従わなければなりません。嫌ということが言えません、NOは禁句です。絶対に言ってはならないのです。だからしかたなく家を捨てて、田舎の親戚や知人を頼って疎開をしていかなければならなかったのです。戦争中の日本はそういう時代だったんです。（次です）<br>
<br>
８月６日、原爆が投下される前、すでに警戒警報・空襲警報は解除されておりましたから、私たちは安心して朝礼を受けるために校庭に出て、待っていたんです。現在は朝会と言うんですか？　校庭には私のクラス約６０名を含めて１５０名位の生徒がいました。警報が解除されていたにもかかわらず、なぜか１機、アメリカのＢ２９が上空にいました。これが原爆を積んでいたなんて、そんなことは夢にも思いませんでした。（次です）<br>
<br>
　広島の朝の空は快晴、美しい空です。きれいな飛行機雲をはきながら、Ｂ２９が私たちの上空にさしかかってきました。私たちは安心していますから、空を仰いで、指差しながらその飛行機を眺めていたわけです。この絵をよく見ておいてください。中学生の制服は、このように兵隊さんと同じような、軍服に近い制服だったんです。戦闘帽という帽子をかぶっていました。これはあとでまた出てきますから、この絵をよく見ておいてください。そして職員室から先生が出てこられ、クラスの級長（現在は学級委員と言いますか？　私たちの時代は級長と呼んでおりましたけれども）、その級長が「集まれ！整列！」と号令をかけたそのときでした。（次です）<br>
<br>
　大音響と共に、あたりが一瞬真っ暗になり、目の前すら見えず、何が起こったのかと思いました。この時、上空でピカッと光ってるんです。熱線。それはなぜか私は記憶にありません。いきなりドン！と爆風が襲ってきて、真っ暗闇になりました。記憶している人の話によると、青い光が四方に走っていったそうです。（次です）<br>
<br>
　そのとき私たちは、ひとたまりもなく爆風で吹き飛ばされました。先ほどの爆風の説明を思い出してください。（次です）<br>
<br>
　しばらくたって、校庭一帯の煙が消えて明るくなって気が付きました。私は１０m位後ろ側に吹き飛ばされて、校庭の地面の上に叩きつけられておりました。爆風による被害ですね。（次です）<br>
<br>
　１５０名位の生徒も前後や左右へと吹き飛ばされて校庭のあちこちに倒れていました。当時の校舎は木造だからぺっしゃんこになっており、周囲にあった民家などの家々は全部爆風で潰されておりました。（次です）<br>
<br>
　遠くを眺めても家が無い、わずかな建物を残して一切が無くなっていました。「広島が無くなった…。」一瞬私はそう思いました。気が付いて自分の体を見たら、着ていた中学の制服は熱線でぼろぼろに焼けちぎられています。先ほどの熱線の説明を思い出してください。上空でピカッと光った瞬間の熱線で私の衣服に自然着火して、ぼろぼろに焼きちぎられ、私の身体は頭の後ろから背中、両手両足、体の皮が爆風でめくれています。めくれたあとの体の肉は熱線で焼けただれ、赤身がむき出しになっていました。１５０名位の生徒も、大なり小なり、私と同じような被害を受けていました。一瞬恐怖が襲ってきました。（次です）<br>
<br>
　もし空襲を受けたら川へ逃げ出せ！　いつもの避難訓練を思い出し、いち早く校庭から出て川へ向かいました。（次です）<br>
<br>
　逃げる途中で後ろの方から、私の名前を呼ぶ声がします。「おぉーい、高橋、高橋…、待ってくれ、待ってくれぇ…。」後ろを振り向きますと、同じ町から一緒に毎日学校に通っていた、同じクラスの山本君という友だちが、私を呼んでいました。（次です）<br>
<br>
　彼はもう泣いてばかりいます。「お母さん、お母さん、助けて、助けて…。」私は彼に、「もう泣くな。」、「泣いても始まらない。泣くよりは早くここを立ち退かないと大変なことが起こるかもわからんぞ。早く逃げるんだ！」と言って、ときには叱り、ときには励まして、彼を引っ張って逃げていったんです。この絵をよく見てください。先ほどは、軍服に近い制服を着ていた、と言いましたね。それがもう、ちりぢりに焼けちぎられているわけですよ。帽子はもちろん戦闘帽をかぶっていましたから、かぶっていた所の髪は残ってますね。帽子からはみ出た所の髪は、ピカッと光った熱線でちりぢりに焼けちぎられて、はげになっている、そういう状況を絵にしているわけです。もとより帽子は爆風で吹き飛ばされておりました。（次です）<br>
<br>
　たくさんの被爆者が行列をなして逃げ、みんな両手を前にぶらーんとぶら下げています。衣服はぼろぼろ、裸同然の人もいます。赤身が出ている、髪はくしゃくしゃ、みんな裸足、足を引きずりながら、ふらつきながら逃げます。まるで幽霊の行列でした。資料館の、先ほど言いました焼け野原の模型、昭和２０年当時の広島の市街地の１０００分の１の模型の横に、ロウ人形が作って置いてあります、廃墟の中のロウ人形。これは、私たち被爆体験者から見ても、かなりよく作ってあると思います。そのロウ人形は髪がくしゃくしゃで、顔から体から、皮がめくれて赤身が出て、衣服はぼろぼろ、裸足…。そういう様子をロウ人形で作ってありますから、それをよく見てください。そのロウ人形のような被爆者が、このように列をなしてぞろぞろぞろぞろ逃げていったわけです。（次です）<br>
<br>
　その行列の中に大変ひどい被害を受けた人がたくさんいました。この男の人の上半身はガラスだらけです。これは例えば、窓ガラスが爆風で粉々に壊されて、そのガラスの破片が爆風で飛び散ってきて、このように人間の体に食い込む、という被害です。私の身体にも数箇所、腰や両手にガラスの破片が刺さっていました。これは友だちの山本君が教えてくれました。（次です）<br>
<br>
　片方の目の玉が飛び出し、全身血だらけの女性がおりました。爆風による被害ですね。向かって左側の男性の上半身は、体の皮がくるっと剥けて、赤身がむき出しになって焼けただれていました。（次です）<br>
<br>
　死体がいくつか転がっていました。その中に、内臓が破裂して地面に出ているという、大変悲惨な女性の死体もありました。これも爆風による被害です。（次です）<br>
<br>
　お母さんと思われる女の人のそばに、赤ん坊が転がっていました。二人とも全身ずるむけ。全身の体の皮が、ほとんどはがされて、赤身がむき出しになって焼けただれています。赤ん坊はぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ泣きわめいています。泣きわめくというのは、まだ命があるということですよ。こんなひどい状態でありながら、まだ赤ん坊の命はあったのです。しかし、子どもの私たちにはどうすることもできませんでした。（次です）<br>
<br>
　馬が、やはり全身の体の皮がはがされて赤身をむき出しにして、首を水槽の中に突っ込んで死んでいました。本当に、言葉だけでは言い表せない、むごたらしい状況です。これも、私が学校で被爆して逃げる途中で見たほんのひとコマです。それも覚えていることだけですから、市内全体ではもっともっとすさまじい被害があったにちがいないと思います。この水槽というのは、コンクリート製の桶で、水を溜めていました。その中に馬が首を突っ込んで死んでいた、という状況ですね。（次です）<br>
<br>
　そういうむごたらしい状況を目の前にしながら、私たちは一生懸命川に向かって逃げていったんだけれども、大きな道路から川岸へ通じる小路という小路、小さい道が、全部ふさがれてしまっています。爆風で壊された家屋の残骸が、小路の上に覆いかぶさっているわけですから、小路を歩いて川岸に出ることがとてもできませんでした。ですから、無我夢中でその家屋の残骸の上を四つんばいになって、やっとの思いで川岸に出たんです。（次です）<br>
<br>
　出たとたん、家屋の残骸から一斉に火の手が上がりました。どんどんどんどん燃え広がります。長い火柱が大きな音を立てて、ちょうど火山が噴火するような勢いで天に向かって吹き上げます。大変恐かったことを今でもよく覚えていますけれども、そのときは幸いにも、その火災の外側に一歩早く逃げることができていました。大変運がよかったと思っています。この火災が、先ほどから説明しておりますように、ドンという爆風で壊された家屋の残骸に、上空でピカッと光った瞬間の熱線で自然着火して、朝じたく（朝でしたから何らかの火が家の中にあったはずです）の火と熱線の火とが一緒になって火災が起きたのです。これを高熱火災、高い熱の火災、高熱火災と呼ぶわけです。家の中で火傷したり焼け死んだりするということですね。それから外は自然着火であるということです。ですから、屋外は自然着火、家の中は火災だということですね。その区別をしていただきたいと思うわけです。高熱火災の展示物が資料館にたくさんありますから見てください。ビンが曲がりくねっています、熱によって。あるいは瓦や石や鉄くずが熱で溶けてくっつく、という資料もたくさんありますから、あとで見てください。この家の下敷きになって助け出せない人たちがたくさんいました。一人や二人の力ではどうすることもできませんから、そのうちに火が回ってきます。下敷きになった人たちを見捨てて逃げざるをえなかったという家族がたくさんおります。爆心地から２ｋｍ以内の木造家屋を含めて、燃えるものはすべて燃え尽きていきました。（次です）<br>
<br>
　はい出た川岸に、なぜか不思議と小さな木の橋が爆風で壊されないで残っていました。この橋が私たちの命を救ってくれました。（次です）<br>
<br>
　橋を渡って向こう岸へ行きました。そのときなぜか友だちの山本君は、はぐれていなくなっていました。あとで私が元気になって彼のお母さんから聞きました。彼は一旦見知らぬ人に家まで連れて帰ってもらったそうですが、１ヵ月半のち、先ほど説明しました急性放射能症状にかかって、彼は亡くなっていったそうです。ですからこのとき私は橋を渡って向こう岸へ行きました。一人で行きました。（次です）<br>
<br>
　向こう岸は３ｋｍ以上離れておりましたから、幸い火災が起きていません。火災は２ｋｍ以内ですね。なんとか逃げて、「あぁ、自分は助かったなー。」と思い始めたそのとき気がゆるんで、初めて涙が出て止まりませんでした。同時に猛烈に強く身体の熱さを感じました。当たり前でしょうね、大火傷を負っているわけですから。もう熱くて熱くてたまらない、たまりかねて川の水の中につかりました。川の冷たい水は、燃えるように熱い私の体にとっては、ほんとうに宝のようでした。ほんとうに気持ちがよかったです。しかし、川の中も死体などが浮かんで、まさに生き地獄、むごたらしい状況でした。（次です）<br>
<br>
　川から上がって、山の竹やぶを利用して仮の救護所が作られていたので、そこへ行って簡単な治療を受けて休んでいました。たくさんの被爆者が、行列をなして治療の順番を待っていました。そこに、真っ黒の大粒の雨が降ってきました。これがいわゆる黒い雨です。（次です）<br>
<br>
　黒い雨というのは、砂ぼこりが天に舞い上がり（爆風で舞い上がっていきます）、その砂ぼこりが雨の中に含まれて黒くなります。同時に放射能を含んでますから、この雨を直接体に浴びると放射線の影響が出てきた人もおります。私はテントの中にいたから、この雨を体に浴びずにすみました。幸いです。しかし、初めて見る黒い雨、この世に果たして黒い雨なんてあるんだろうかな、と不思議な気持ちでしばらく雨を眺めていました。（次です）<br>
<br>
　雨がやむのを待って、私は一人で自宅に向かって歩き始めました。しかし、学校から自宅まで６ｋｍ以上です。宮島へ行く途中にある、中広町というところに学校があって、草津町というところに向かって帰るということです。６ｋｍ以上ですから、そういう長い道のりを大火傷を負った一人の少年が、果たして自力で歩いて帰ることができるかな、と不安を抱きながら歩き始めたわけです。（次です）<br>
<br>
　しばらく行くと、また私の名前を呼ぶ声がします。「おぉーい、高橋、高橋…。助けてくれ、一緒に家まで連れて帰ってくれ…。」うめき声をあげ、私に助けを求める声がしました。道端の方を見ますと、これも同じ町から一緒に毎日学校に通っていた、同じクラスの八田君という友だちがうずくまっておりました。彼の体をよく見てみると、なぜか両足の裏側の皮がめくれて、赤身がむき出しになって焼けただれていました。足の裏側の皮がめくれて赤身が出ているのです、歩けるはずがないですね、誰が考えても。どのようにしてここまで来たのかとたずねましたら、見知らぬ人の自転車に乗せてもらって、そしてこの場所に置いていかれたそうです。呼び止めて助けを求める、当然でしょう。しかし、歩けない。歩けない友だちをどのようにして助けようか、と私は思い悩みました。そういう友だちを見捨てて一人だけが家に帰る気にはとてもなれませんでした。同じ町ですから。なんとか助けてやろうと思ったわけですけれども、助ける方法がどうしても見当たらない。幸い彼の身体は、足の裏側以外は、あまり切り傷も火傷もひどくなかった。私は考えに考えて、彼を助ける方法をやっと二つ思いつきました。（次です）<br>
<br>
　その一つは、彼の両手と両足のひざを使って、犬や猫のように四つんばいにはわせて進むことでした。こうすれば足の裏側が地面につかないですみます。（次です）<br>
<br>
　もう一つは、彼の両足のかかとで立たせて、そして私が彼の体を支えてやって前に進んでいく方法です。ゆっくりゆっくり。この二つの方法を繰り返しながら、牛の歩みよりももっと遅く、私たちは助け合って自宅に向かいました。こんな方法をその当時よく思いついたな、と我ながら感心しております、今思えばね。こういう状況があってはなりませんが、あった場合に皆さんどうしますか？　友だちを見捨てて逃げますか？　そんなことも考えてみてください。ありえないことだ、と言えませんよ。いつなんどき何が起こるかわからないような状態です、今日本も、世界も。もしこういうことが起こった場合には、やっぱり友だちは助けてやってほしい、と私は思います。（次です）<br>
<br>
　普通の歩き方ではないからすぐ疲れます。道端で休んでいました。何気なく私は後ろを見ました。そうすると、後ろの方から、私にとっては大叔父にあたります、つまりお祖父さんの弟ですけれども、その大叔父夫婦がこちらに向かって来るではありませんか。大変嬉しかった。声をふりしぼって大叔父夫婦を呼び止めました。大叔父はびっくりしています。まさかこんなところで私たちに会おうとは思わなかったでしょう。田舎の法事から自宅に帰る途中の、大叔父夫婦に偶然にばったりと出会ったのでした。ほんとうに運がよかったと思っています。（次です）<br>
<br>
　大叔父夫婦に助けられ、背中におんぶされて、自宅に帰ることができました。大叔父夫婦に助けられなかったら、おそらく途中で二人とも倒れて死んでいたにちがいありません。このように皆さんの前でお話をする私はなかったかもしれません。大変、不幸中の幸いだったと思います。（次です）<br>
<br>
　途中で、祖父が家からタンカというのを運んで来てくれました。こういうものしか当時ありません。タンカに乗せられて自宅に帰ることができたわけです。従来の展示には、資料館にこのタンカが置いてあったのですが、昨日の展示から撤去されています。ですから資料館で見ていただくことができませんけれども、こういうタンカしか、当時無かったということです。（次です）<br>
<br>
　家に帰って、友だちの八田君は８月８日、つまり投下の２日後に、彼も急性放射能症状にかかって亡くなっていったそうです。私は家に帰って母親が衣服をはさみで切り取ってくれました。赤身が出ている両手両足を通して衣服を脱がせば、赤身が衣服にこすれて痛いですから、はさみで切り取り引き裂いてくれて、新しいゆかたに着替えさしてくれました。ゆかたというのが、戦争中の私たちの寝巻きでした。（次です）<br>
<br>
　それから１年半、私は火傷の治療を受けました。幸い知り合いのお医者さんが朝晩２回自宅まで往診に来てくれて、火傷の治療にあたってくれましたが、その医師は耳鼻科でした。普通皆さん考えて、耳鼻科の医師は火傷の治療はしません。外科、ないしは皮膚科でしょう。しかし、先ほどから何度も言っております。医者がいない、看護婦さんがいない、薬品が無い、食糧も無い。ほとんど全滅に近い状態でね。たとえ専門は耳鼻科であっても相手は医者です。その医者という名がつく人に私は治療を受けることができたのです。他の被爆者より、もっともっと幸せであったと思っています。多くの被爆者は治療などありえなかった、治療を受けることはできなかった、そういう状態の中で、たくさんの被爆者は死んでいったんです。私はなんとか生き残りました。（次です）<br>
<br>
　生き残ったとは言え、原爆の影響ではないかと思われる、慢性肝炎にかかっております。昭和４６年に発病しまして、すでに１３回位入退院を繰り返しながら、現在でも１週間に３～４回注射をして生活しています。１ヶ月位前からその肝臓が悪くなっておりまして、数値がずーっと上がっていっております。ほとんど毎日のように今では注射をしております。これが、いわゆる後障害ですね。先ほど言いました後障害、後から出てくる障害、ということなんですね。他の病気もたくさんあります、肝臓以外の病気が。私に全く縁のないお医者さんは、産婦人科と小児科と精神科ぐらいでしょう。あとの病院には全部通院をしているというありさまですから、日々が不安でなりません。今私は、生きることの厳しさ、生きることの苦しさを強く感じております。ときとして、こんなに苦しみながらも、なお私はこの世に生き続けなければならないのだろうか、と絶望的になることもありますけれども、その都度思い直しております。せっかく生き残ったのだから、無残な死に方をした友だちに代わって、生き残った者としての務めを果たしていかなければならない、と思い直しては今日まで生きてきたわけです。（次です）<br>
<br>
　私の体のいたるところに火傷の痕が残っています。右手が一番ひどいです。右の肘から指先まで皮がめくれて赤身がむき出しになって焼けただれていました。その火傷のために右肘が１２０°に固まったままで、４本の指、親指を除く４本の指が、曲がったままで動きません。大変不自由です。（次です）<br>
<br>
　このスライドのように、４本の指が曲がったままで動きません。手首のところにはケロイドというものがあります。早い人なら、火傷は１ヶ月位で治るんです。私は１年半近くかかりましたけどね。治ったあとに、肉のレバー、肝のようなものが大きくもりあがってくるわけです。これをケロイドと言うわけですけれども、私は手術によってケロイドを切り取ってもらいました。このスライドの写真は切り取った後のものです。資料館の放射線の展示の所に、こういうケロイドの見本があります。切り取ったものが確か瓶詰めにしてありますから、そういうものを見てください。（次です）<br>
<br>
　私の右手の人差し指には今、黒いような茶色のような、異様な爪が生えます。皆さんと同じような白い爪が生えておりません、なぜか。爆風で飛んできた小さなガラス片が爪の根っこに刺さったからです。そして、爪を生やす細胞を壊してしまった、ということですね。細胞破壊を起こして、こういう爪が伸びるようになったわけです。ここに傷がありますね（指し示されながら）、ここにガラスの破片が刺さったんです。ずーっと生え続けるわけです、こういう爪が。（次です）<br>
<br>
　このようにずーっと生え続けます。この爪は太くて硬いものだから、普通の爪切りでは切れないのです。しかたなく２、３年放っておきます。（次です）<br>
<br>
　そのうちに、爪の根っこに亀裂が生じてきます。線が入ってきて、自然にポロッと落ちるんです。落ちたものを資料館に寄贈しておきました。資料館西館の爆風の展示の所に、私の抜けた爪が二つ、ケースの中に入れられて、確か先ほどの右手の火傷の写真と共に展示してあると思いますから、あとで見てください。（次です）<br>
<br>
　私の両耳もつぶされました。スライドには片方しか映っていませんが、両方の耳がつぶされています。被爆して、両方の耳に血と膿がたまって紫色に大きく腫れあがっていました。これは母親が教えてくれたのですが、急性放射能症状の一種なんですね。熱線と放射線の影響です。その血と膿を、医者が治療のためにしぼり出しました。耳は軟骨という柔らかい骨で形作られておりますから、その軟骨が血と膿で腐ってしまったわけです。医者が治療のためにその血膿をしぼり出すと同時に、その軟骨は腐ってつぶされてしまった、とそういう被害を受けたわけです。<br>
<br>
　以上でスライドは終わります。操作ありがとうございました。
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51875953" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51871030.html">
<title>えひめユネスコ絵画展「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」入賞者</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51871030.html</link>
<description>えひめユネスコ絵画展「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」入賞者
今回の応募作品数は２７２点でした。もっとたくさんとりたかったのですが審査の先生に絞って頂きました。どれもすばらしい作品ばかりでした。ありがとうございました。
表彰式は１２月１０日です。近々...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-11-18T22:06:03+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[えひめユネスコ絵画展「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」入賞者<br>
今回の応募作品数は２７２点でした。もっとたくさんとりたかったのですが審査の先生に絞って頂きました。どれもすばらしい作品ばかりでした。ありがとうございました。<br>
表彰式は１２月１０日です。近々お知らせが届くと思います。<br>
展示会は１月１３日(金)～１５日(日)１０時から１８時までフジグラン松山５階ギャラリー。５階に移転しています。わたしの好きな絵投票(小学生対象)も行っていますよ。<br>
日本ユネスコ協会連盟会長賞  有光優貴  愛媛幼稚園<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/7/c/7ccafd6b.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展日ユ 005" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
松山ユネスコ協会長賞             宮内　夢実    松山市立道後小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/9/2/92df3965.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展松ユ 006" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
愛媛県美術会長賞             芳野照太郎　松山市立久米小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/1/c13fa557.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展美 007" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
愛媛新聞社賞                          篠森　遥 愛媛大学附属小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/5/c580d616.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展新聞 008" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
愛媛県教育委員会教育委員長賞　乃万直美　小羊園<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/5/0/506d4dca.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展県教委 009" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
松山市長賞                          渡部　哲也　愛媛大学附属小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/8/f/8f69c327.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展市長 010" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
松山市教育委員会教育長賞幾度　凜             愛媛大学附属小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/f/cf2ba436.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展市教委 011" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
松山市文化協会長賞             佐保　重女理　愛媛大学附属小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/5/b/5b1f472f.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展文化 012" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
松山市国宝重要文化財所有者連絡協議会長賞   栗原　百花　松山市立湯築小学校<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/9/b/9bf6ea2d.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="15絵画展国宝 013" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
NHK松山放送局長賞             坂川梓香愛光幼稚舎<br>
南海放送賞                          有光なごみ愛媛幼稚園<br>
テレビ愛媛賞                          松井　恵理佳松山市立石井北小学校<br>
あいテレビ賞                          白井　遥菜松山市立椿小学校<br>
愛媛朝日テレビ賞                          渡部　愛美愛媛大学附属小学校<br>
エフエム愛媛賞                          松井　嘉孝松山市立石井北小学校<br>
愛媛CATV賞                          渡部　舞             愛媛大学附属小学校<br>
えひめリビング新聞社賞             野口　颯太松山市立椿中学校<br>
優秀賞<br>
小野仁美番町幼稚園             <br>
佐々木志有くたに幼稚園<br>
白井　柚季椿幼稚園             <br>
菊池　由菜愛媛大学附属幼稚園<br>
仲神百華愛光幼稚舎             <br>
藤田導夢勝山幼稚園<br>
兼久雄成勝愛幼稚園             <br>
峰雪 晶             愛光幼稚舎<br>
神村　ありさ愛光幼稚舎             <br>
永井美名子松山市立窪田小学校<br>
近藤 楓             松山市立余土小学校<br>
松友敬志愛媛大学附属小学校<br>
宇都宮駿介松山市立たちばな小学校<br>
萩田小晴愛媛大学附属小学校<br>
白石　哲朗松山市立椿小学校<br>
松本快士愛媛大学附属小学校<br>
永井翔悟松山市立潮見小学校<br>
菅 茉莉  　　　　　　松山市立石井小学校<br>
武田美咲希松山市立堀江小学校<br>
坂川杏実松山市立石井東小学校<br>
渡部凜佳愛媛大学附属小学校<br>
井上裕崇愛媛大学附属小学校<br>
永見侑大松前町立松前小学校<br>
三木 淳             松山市立宮前小学校<br>
池田　光希愛媛大学附属小学校<br>
小野　日菜子愛媛大学附属小学校<br>
栗原　智也松山市立湯築小学校<br>
宮内　咲弥松山市立道後小学校<br>
村瀬　あみ愛媛大学附属小学校<br>
本宮　沙耶愛媛大学附属小学校<br>
森實　玄             愛媛大学附属小学校<br>
春田　梨花愛媛大学附属小学校<br>
森岡　咲弥愛媛大学附属小学校<br>
一柳真帆松山市立新玉小学校<br>
永井可奈子松山市立窪田小学校<br>
飯　乃愛             松山市立湯築小学校<br>
井本　万智松山市立道後小学校<br>
小田　美太朗愛媛大学附属小学校<br>
加地　愛香愛媛大学附属小学校<br>
河野　波華愛媛大学附属小学校<br>
重松　愛理愛媛大学附属小学校<br>
今西　理紗愛媛大学附属小学校<br>
中村　真衣愛媛大学附属小学校<br>
福田　陽菜愛媛大学附属小学校<br>
藤田　紗英愛媛大学附属小学校<br>
三好　寛透愛媛大学附属小学校<br>
髙井　瑠和松山市立生石小学校<br>
大森　那桜松山市立雄郡小学校<br>
野口　凱生松山市立椿小学校<br>
横田　愛里愛媛大学附属小学校<br>
仲神光一郎愛媛大学附属小学校<br>
永井日菜子松山市立窪田小学校<br>
河井ひまわり宇和町小学校<br>
乃万創太郎松山市立久米小学校<br>
齋藤 萌             愛媛大学附属小学校<br>
椎森健詞松山市立石井小学校<br>
羽田はるな愛媛大学附属小学校<br>
芳野日菜愛媛大学附属小学校<br>
木村　広樹愛媛大学附属小学校<br>
本宮　菜帆愛媛大学附属小学校<br>
山岡　萌美松山市立興居島小学校<br>
村上夏帆愛媛大学附属小学校<br>
久万柊人　　松山市立道後小学校<br>
石井紗羅松山市立湯山小学校<br>
佐田　あかね愛媛大学附属小学校<br>
田中　香南海松山市立道後小学校<br>
野田　亮介松山市立湯山小学校<br>
中島　ちひろ砥部町立麻生小学校<br>
宮成　竜冴松山市立久米小学校<br>
田中さくら松山市立窪田小学校<br>
森 彩乃             愛媛大学附属小学校<br>
永田 藍             松山市立姫山小学校<br>
遠藤 栞             東温市立川上小学校<br>
吉見元成松山市立味酒小学校<br>
宮内　梨帆松山市立道後小学校<br>
工藤　春希松山市立椿中学校<br>
武田咲都美松山市立内宮中学校<br>
久万ほのか松山市立道後中学校<br>
永見紗也佳松前町立松前中学校<br>
末光　結              松山市立椿中学校<br>
西山　由利子松山市立椿中学校<br>
林　紗希             松山市立椿中学校<br>
柏 可奈子東温市立重信中学校<br>
松本　真純東雲中学校<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51871030" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51867685.html">
<title>語りべ高橋昭博さんのメッセージ2002その1</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51867685.html</link>
<description>高橋昭博さんの訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。
広島ユネスコ協会副会長としてスタディーツアーの私たちを受け入れ、原爆の悲惨さ、放射能の恐ろしさ、そして、心の平和の大切さを教えてくださいました。私たちは高橋さんの教えを後世に伝え告ぎたいと思います。
...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-11-03T08:41:22+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[高橋昭博さんの訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。<br>
広島ユネスコ協会副会長としてスタディーツアーの私たちを受け入れ、原爆の悲惨さ、放射能の恐ろしさ、そして、心の平和の大切さを教えてくださいました。私たちは高橋さんの教えを後世に伝え告ぎたいと思います。<br>
2002年のユースセミナーでの高橋さんのお話をアップします。スライドの絵はありません。<br>
<br>
じゃあ皆さん、改めて、こんにちは！（一同挨拶）<br>
ようこそ広島へ。私は、高橋と言います。<br>
<br>
　これから、私の被爆体験を中心にお話をいたします。まず最初に、原爆資料館のこともおりまぜながら、原爆の威力についてお話します。どんな破壊力があるかについてお話します。そしてそのあと、42枚のスライドを使います。これは、8月6日の様子を絵にしたものです。一部写真もあります。これを使って当時の様子をお話いたします。つまり、私自身の被爆体験ということになります。<br>
<br>
　そしてその次に、現在の状況についてお話したいと思います。皆さんは今生きているわけですから、今の状況が果たして平和か（私は平和だとは思いませんが）、日本が平和でしょうか？　世界が平和でしょうか？　私がそういう質問をする前に、あなたがたは「平和だ」と思っていらっしゃるんじゃなかったですか？　日本が。日本が平和だと思っていた方、手を挙げてください。今の状況が…。（何名か手を挙げる）はい、それはおそらく戦争や核兵器が無いからですね。そうだから。そうじゃないんですよ、実は。平和はそうじゃない。あとでまたお話しますが、平和というのは、単に戦争や核兵器が無くなればそれで平和かと言えば、そうではないということです。それはなぜかというのはあとで話します。現在の状況というお話のところで。<br>
<br>
　そして最後は、２１世紀を生きる皆さんに、私からのメッセージを伝えたいと思います。あなたがた一人でもできること、それをまずやってほしい。一人でできることをまずやってほしい。一人の力は小さいです。一人ではなんにもできないかもしれない。しかし、まず一人から始めなければなりません。一人がやらなければゼロなんですから。無なんですから。そこから何も生まれませんから。まず一人が何かをやり始めてこそ、何かが動き出す、ということです。これは誰にでも分かることです。<br>
<br>
　そういうことについてお話いたしますので、しばらくご静聴お願いいたします。<br>
<br>
　さて、昭和２０年―西暦１９４５年―８月６日、午前８時１５分、世界最初の原子爆弾が広島の上空で爆発しました。空中爆発を起こしたということです。<br>
<br>
　太平洋にテニアン島というところがありまして、そこにアメリカの基地がありました。８月６日の朝早く、そのテニアン基地を３機の飛行機が広島に向かって飛び立ちました。その中に、エノラゲイ号という、原爆を積んだ飛行機がおりました。その飛行機は、あとの２機と共に、テニアン基地から６時間半かかって広島まで原爆を運んできました。<br>
<br>
　そして、広島の上空、高度（空の高さ）約９６００ｍのところから原爆を投下しました。その原子爆弾は、平和公園に原爆ドームがありますが、原爆ドームの東南寄りに、しま外科病院というのがあって、その病院の上空５８０ｍのところで空中爆発を起こしたということです。原爆ドームは、原爆が投下される前は広島県産業奨励館という大変特色のある建物でした。それが被爆して残骸となって、名付けて原爆ドームと呼ばれるようになりました。ご承知だと思いますが、平成８年のことだったと思いますが、原爆ドームは、同じ広島県の厳島神社と共に、ユネスコの世界遺産に指定されたわけです。ユネスコ協会は、世界遺産への登録を記念して５枚セットで絵葉書を販売しており、世界遺産の普及をしております。これはあとで５部お渡しするそうですが。そういうことですね、原爆ドームについては。そのほぼ上空で空中爆発を起こしたということです。<br>
<br>
　資料館に行かれますと、この東館、（私の館長時代にはこれがありませんでしたが）数年前にできた新しい館で、資料を見られて、渡り廊下を通って西館に行きます。西館が従来の原爆資料館です。たくさんの被爆資料がありますが、最近放射線のコーナーを新しく変えました。入り口を入って少し行きますと、丸い模型があります。広島が、原爆によって焼け野原になった様子を模型にして作ってあります。その模型は、昭和２０年当時の広島の市街地の１０００分の１の模型です。その模型の真中の天井から赤い玉が下がっています。サッカーのボールくらいでしょうか、赤い玉が下がっていますから、それを見てください。それが爆発地点なんですね。これを爆心といいます―爆撃の爆に心―というんですね。その赤い玉から、ちょうど斜め上に、広島型原爆の原寸型模型が展示されています。リトルボーイ、ウラニウム型原子爆弾です。やや、細長い原子爆弾です。長崎は丸い原子爆弾です。ファットマン（でぶっちょ）という愛称をつけています。広島はリトルボーイ、ちびっこというあだ名が付けられています。その模型がありますから、それをご覧ください。その広島型原爆、およそ５０kgのウラニウムが使われていたと言われておりますが、そのうち核爆発を起こしたのは、たった１kg弱、非常にわずかでした。わずかなウラニウムが核爆発を起こした、しかし、非常に大きな力を持っていた、強い爆発力を持っていたわけです、ウラニウムが。<br>
<br>
　第二次世界大戦の中で、日本の首都―東京、大阪、名古屋―そういう大都市をはじめとする日本のかなりの都市は、焼夷弾という通常爆弾によって空襲を受けました。そういう通常爆弾に計算しますと、当時のアメリカのＢ２９が３０００機要ると。３０００機の飛行機で、運んでくるだけの爆弾が作れるんです。これが１発の原子爆弾の威力なんですね。<br>
<br>
　昭和５５年だったと思いますが、ローマ法王ヨハネパウロ２世が広島におみえになって、資料館の見学をしていただいたことがあります。そのとき私は館長を務めておりましたので、法王様をご案内いたしました。今言いましたパノラマ（焼け野原の模型）の前で、いつも館長はそこで説明をするんですけれども、全体像（今皆さんにお話したようなこと）を申し上げました。「通常爆弾に計算すると３０００機要ります。３０００機の爆弾に匹敵します。」ということを説明しましたら、法王様は、「通訳がひと桁まちがえて私に伝えたのではないか？」とおっしゃいました。つまり、３００機をひと桁まちがえて３０００機と伝えたのではないですか？ということですね。そこで改めて私は、３００機ではございません、３０００機に匹敵します、と言いましたら、非常に厳しいお顔をなさいまして、顔を横に振られて、無言で振られて、まさに信じられないというような表情をなさったことを、今でもはっきりと覚えています。それだけ信じられないくらいの破壊力があったということです、原爆には。そういう破壊力が原爆にはあるということです。<br>
<br>
　その特色は三つあります。熱線と爆風と放射線。この三つの要素が複雑にからみ合って原爆の被害は大きく広がっていきました。特に、先ほどから何度も言っておりますが、空中爆発の方法をとったということです。通常、爆弾というのは飛行機から投下されて、地上に落ちて爆発します。あるいは、こういう建物の中に落ちて爆発します。しかし、広島・長崎への原爆投下では、アメリカは空中爆発の方法をとったのです。これが非常に効果的であったわけなのです。熱線と爆風と放射線が、効果的に四方に広がっていきます。そして大変な被害が起こりました。最大の効果があったということですね、空中爆発が。その熱線と爆風と放射線。<br>
<br>
　まず、熱線は爆発した瞬間に、数百万度という熱を持った火の玉が天に向かって舞い上がっていきます。直径２００～３００ｍぐらいの大きな火球。そして、爆心地一帯には、あの原爆ドーム一帯には、３０００～４０００℃の大変強い熱がありました。例えば、鉄が溶ける温度が１５３０℃、ガラスやビンが７００～８００℃で溶けますから、溶鉱炉で鉄が溶ける温度より原爆の熱線というのははるかに強かったのです。そういう強い熱線がありまして、人の体や衣服は焼かれて、あるいは家や街が焼かれていったわけです。一説には、あの原爆ドーム一帯にいた人は、もう蒸発したという説があります。影も形も無くなったということです。強い熱線で焼かれてしまって、いつの間にか影も形も無くなったという説があります。まあ、見た者が誰もいませんからよくわかりませんが、おそらく真実であったと思われます。それだけ強い熱線があったということですね。<br>
<br>
　そして次に爆風ですが、爆風は爆心地から１６km、だいたい宮島までです、宮島あたりまで爆風の被害がおよんだということです。爆発した瞬間に、数十万気圧という圧力を持った衝撃波が四方に広がっていきます。そのあとを追いかけて強い風が吹き抜けていったのです。これを爆風と言います。その強い風の最大瞬間風速は秒速４４０mに達したと言われております。まさに、人間の想像をはるかに超えています。４４０ｍ、皆さんが台風情報をお聞きになる場合に、最大瞬間風速３０～４０ｍと言いますね。あの最大瞬間風速が、原爆の場合は４４０ｍあったというわけですから。戦後このかた日本に上陸した台風の中で、最大級が昭和４１年９月５日、沖縄第２宮古島台風と言われる台風だそうです。最大瞬間風速８５.５ｍ。およびませんね。原爆の爆風におよばない。最大級の台風ですらおよばない猛烈な風があったわけです。昭和３０、４０年代は、その地域、都市の名前を取って台風の名前としていました。現在は数字ですね、１号、２号、３号と言いますね。<br>
<br>
　そういうことなんですよ。最大級の台風ですら遠くおよばない強烈な風が原爆にはあった。その風によって、人が瞬間的に飛ばされ、人の体の皮膚がめくれます、目の玉が飛び出して内臓が破裂する、電車やバスが吹き飛ばされる、木造家屋はなぎ倒されるし、ビルまでも破壊されていったわけです。そういうすさまじい被害が原爆の風によって起こっていったわけです。<br>
<br>
　私たちは、原子爆弾を通称ピカドンと呼びます。ピカドン、それは、上空で爆発したあとに、ピカーッと光ったわけです、これが熱線ですね。ドン、というのが爆風です。それでピカドンと言います。上空でピカッと光った瞬間、屋外にいた人間、私も学校の校庭におりましたから屋外ですが、屋外にいた人間は、自然着火ですよ。ピカッと光った瞬間に、もう知らない間に衣服に火がついて、ぼろぼろに焼きちぎられています。そして体の皮がね、先ほど言いましたようにめくれてしまいます。めくれた後の私の体の肉は、熱線によって焼けただれ、赤身がむき出しになっています。全然知らない間に、予想もしないことで、そういう状態になったということです。これが特色ですね。屋内は違いますよ。屋内は火災です。これはあとでスライドのときに説明します。屋外は自然発火、いつの間にか焼けただれていた、衣服を焼きちぎられていた、という状況であったわけですから、屋内と屋外で火傷のしかた、焼け死にかたが違うというのは理解しておいてください。資料館に行かれると、たくさんの衣服があります、一般市民あるいは中学生、女学生の。ぼろぼろに焼きちぎられています。火災ではないということです。火災ではないということを理解した上で見てください。あるいは、兵隊さんが真っ黒にこげた体の写真があります。女学生が、顔面に熱線を浴びて、顔面が顔・形が見られない写真もありますから。全部自然着火で、いつの間にかそういう状態になったんだということを理解した上で資料を見てください。そして、爆風の展示があります。確か爆心地から３３０ｍにあったビルの鉄骨、太い鉄骨です、その大きな鉄骨が、随所に切断されています。それは、先ほど言いましたすさまじい風によって、その太い鉄骨が切られていったということです。そういう資料がありますから、あとでよく見てください。<br>
<br>
　そしてもう一つの特色が放射線です。これが核兵器にしか無い、原爆にしか無いものです。通常爆弾には全くありません。<br>
<br>
　人体に影響の無い放射線があります。１ミリシーベルトです。放射線はシーベルトという表現を使うそうです。シーベルト。１ミリシーベルトが人体に影響の無い、この空気中にある自然の天然の放射線です。これは皆さんが毎日体に浴びています。人体には全く影響がありません。レントゲンがありますね、レントゲン。胸に１回レントゲンを受けたら、０.３ミリシーベルトの放射能を浴びるそうです。これは人体に影響がありませんね。しかし、胃のレントゲンの場合は、１回かけて６～９枚ぐらいのフィルムを撮るそうですが、その間に４ミリシーベルトの放射能を浴びるそうです。４ミリシーベルトといったら１ミリシーベルトをオーバーしています。だからあまりよくないですね。だから皆さんが日常生活をされる場合でも、レントゲンには注意をはらうべきでしょう。やはり放射線があるということです。<br>
<br>
　それでは広島原爆はどのくらいの放射線だったかと言いますと、爆心地からだいたい１ｋｍの所には４シーベルト、４シーベルトの放射線があったと言われております。そして爆心地一帯、だいたいあの原爆ドームの所から１００～２００ｍ位の所にいた人が、人体に影響の無い１ミリシーベルトの１７０００倍、つまり、１７シーベルトの放射能を浴びたそうです。爆心地一帯は、それだけのたくさんの放射能を浴びたということです。<br>
<br>
　一昨年でしたか、茨城県東海村の燃料加工工場の事故が起こりましたね。完全な違反行為。手作業でウラニウムを注入していたということです。しかも１６ｋｇものウラニウムを手作業で注入していたのです。そして放射能漏れが起こりました。付近の住民の方々も、少量ではあったけれども放射能を浴びました。その作業場には３人の作業員がいたと言われています。そのうち２人が亡くなりましたね。確か篠原さんという人と、大内さんという人だったと思います。この２人の亡くなった作業員がどれだけの放射線を浴びたか、ということですが、これは広島の原爆で言いますと、１７シーベルトです。爆心地一帯の大量の放射線を浴びたということですよ。１７シーベルトの放射線を浴びて、２人とも亡くなっていったのです。篠原さんの方がやや少なかったようですけれども、だいたい１７シーベルトです。<br>
<br>
　大量の放射線を一時に浴びると、急性放射能症状というのが起こるんです。これは、広島・長崎も、燃料加工工場も同じです。急性放射能症状が起こると、頭の髪が抜けます、鼻から口から耳から血と膿が流れ出ます。紫色の斑点が出てきます、体じゅう。そして、血と膿がたまって紫色に大きくお腹もふくれ上がり、血便や血尿が出て、骨が腐ってきます。そういう状態を急性放射能症状と呼ぶわけですが、それで多くの広島・長崎の被爆者が亡くなっていったし、大内さん、篠原さんも亡くなられた、ということですね。<br>
<br>
　だが、ここで知っておいていただきたいのは、広島・長崎の被爆時と現在は、違うということですよ、状況が。広島・長崎の被爆時は、医者がいない、看護婦さんがいない、薬品が無い、広島市街地はほとんど全滅ですから。全滅に近い状態。参考までに申し上げておきますが、原爆が投下される前、広島市内に、お医者さんは約３００人位、看護婦さんが１８００人位いたと推計されております。そのうち７０数％が死んだのですから、ほとんど全滅に近い状態。そういう中で、被爆者は治療を受けることができなかったのです。全くできなかった…。そして死んでいったのです。治療などありえませんでした。<br>
<br>
　だがしかし現在は、発達した医療があります。高度な医療技術があります。それでも救えなかった、そこを分かってください。それでも救えなかった、２人の作業員は。ですから、広島の放射線医学を専門としているお医者さんの中には（全部じゃないですよ）、お医者さんの中の一部の人には、「放射線の前に医療は無力である。」と、「放射線の前に医療は無力である。死を待つ以外はないんだ。」ということをおっしゃる人すらおります。それだけ恐いということです。そういう放射線が核兵器にはあるのですから。まぎれもなく。<br>
<br>
　そして「後障害」というのが起こってきます。浴びたら消えるんじゃないんです、放射線は。残っていきますから、それで恐い。これを残留放射線と言います。残る、留まる、残留放射線。残っていって後障害、「後ろ」の障害ね、後の障害、これを起こしていきます。例えば、胃がんの発生率は一般人の４倍、被爆者の方が高い、と言われています。そういうふうに一般と比べたら、高い率で病気が発生していきます、被爆者の場合は。それが後障害。放射線が残るから、残留放射線があるから、ということなんです。それで恐いわけなんです。<br>
<br>
　だから、そういう放射能のある核兵器は絶対悪です、絶対にあってはならないのです。広島・長崎は、被爆体験をふまえて、ずっと訴えてきましたけれども、無くなりませんでした。残念でした。これをあなたがたに引き継ぎます。皆さんに引き継いでいきます。今度は皆さんが、核兵器廃絶に向かって、戦争廃絶に向かって、努力をしていただかなければならない、ということです。これはまたあとでお話しますが、そういう状況です。<br>
<br>
　原爆によって、約３５万人が被爆しました。そして亡くなった人は、昭和２０年８月から４ヶ月間に、だいたい１４万人前後になりました。そして、５年後の昭和２５年までに、約２０万人の人たちが死んでいったのです。被爆した人の中には、朝鮮半島から強制的に連れてこられた朝鮮民族の人たち、あるいは、当時広島市内にいた米軍の軍人と捕虜、とらわれの人たち、中国や東南アジアの留学生の人たち、そういう外国人もいるわけです。<br>
<br>
　そして、生き残った人がおります。私のように、生き残った人がいますが、これは昨年の３月末現在が一番新しい数値で、全国に約２９万１０００人の被爆者が生き残っています。そして愛媛県全体では１４９９人。１４９９人の被爆者が愛媛県下全体に住んでおります。これも、よく知っておいてくださいね。広島・長崎だけが被爆者だというわけじゃないんですよ。全国にいるということですから。それから、山口・岩国の方がおいでになっていますね、山口はかなり多い、５７２２人、これだけの被爆者が山口県下に住んでいます。そういうことも知っていてください。生き残っている被爆者の中の一人が私です。中学２年生、１４歳。爆心地から１.４ｋｍの中学校の校庭で被爆しました。
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51867685" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866511.html">
<title>第７回心の中に平和作文 ２０１１ 最優秀作品</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866511.html</link>
<description>松山ユネスコ協会長賞
信頼された私たち。
愛媛県立松山西中等教育学校　４年　柴田真歩

「がんばれ、日本。」
　今年に入って、この言葉を一度も耳にしたことがない日本人は、日本の中には恐らく存在しないだろう。それは何故か。この問いに答えられない者もきっと少...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-10-28T22:09:14+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[松山ユネスコ協会長賞<br>
信頼された私たち。<br>
愛媛県立松山西中等教育学校　４年　柴田真歩<br>
<br>
「がんばれ、日本。」<br>
　今年に入って、この言葉を一度も耳にしたことがない日本人は、日本の中には恐らく存在しないだろう。それは何故か。この問いに答えられない者もきっと少ない。<br>
　そうだ。そうなのだ。あの地震が、そうさせたのだ。３月１１日に、全てを奪ったあの地震が。<br>
　ニュースやインターネットで報道される内容を見て、私は地震の恐ろしさを知った。実際に体験はしていないと言えども、被害に対する恐怖感は少なからずおぼえた。どうしてこうも被害が拡大してしまったのだろう。疑問に思ったとしても仕方がない。私がどうにもできることではないのだから。<br>
　そう思いながらパソコンを見ていると、ふと海外のサイトへと行ってみようという考えを思いついた。日本の情報は外国にもう伝わっているのかな、という軽い気持ちでリンクをクリックした。<br>
　私はその瞬間動くことができなかった。そのページ一面に、日本人へのメッセージが書かれていたからだ。私はそのとき、どれだけの間動くことができなかったのだろう。<br>
　一つ一つ見ていけば、日本への祈りを捧げてくれるもの、応援してくれるもの、様々だった。鮮やかに彩られたものもあれば、ひたすら日本の無事を願うものもあった。その中で私が特に目を奪われたものもあった。それはこういう記事だった。「（日本人の名前）、大丈夫だと信じています。神様、どうか彼女とその家族を守って下さい。」という言葉と共に、泣いている女の子のイラストが添えられていた。<br>
　どこかで出会ったのだろう、海を越えた友人の無事を祈っている。どこに住んでいるのかさえわからないが、心の底から心配してくれている。そんな人が、どこかにいる。<br>
　私は見たことも会ったこともない彼らの友情に、思わず涙をこぼした。目には見えないが、確かにそこにある何かを感じた。<br>
　内容は十人十色だったが、それらのメッセージの中には必ず共通点が存在した。それは日本を応援してくれていること。私は被害者でもないのに、自分が勇気付けられているような感覚にとらわれた。<br>
　誰が自ら動けない石にエールを送るだろうか。誰が掴めない雲を応援するだろうか。そんなものではない。日本は石や雲ではない。信頼された国、個人だからこそ元気をもらっているのだ。将来を、復興することを信頼されているからこそではないか！<br>
　私は西日本に住んでいるから、本当の悲しみをまだ知らない。東北の方々からすれば、何を一人で盛り上がっているのだろうと思われるかも知れない。でもどうか、一人だけではない。遠く離れていても、信じ合うことは十分できる。そのことだけは、どうか忘れないでおきたい。もしもこれから起こる悲劇にどんな形で巻きこまれようと、くじけたとしても強く生きたい。<br>
　そして、誰かと信じ合い、一人でも多くの人と助け合うことができればいいなと思うのである。<br>
 <br>
<br>
国際ソロプチミスト松山会長賞<br>
震災、そして私達に出来る事<br>
松山市立北条南中学校　３年　中原みなみ<br>
<br>
２０１１年、３月１１日。それはこれからも今までのような日常が続くという思考の中での大きな震災。沢山の命が奪われ、多くの人々が悲しんだ日々だった。<br>
　私もテレビなどでそれを知った時、自分の中に大きな衝撃が走った。壊れた建物、水浸しになっている家、テロップとして現れる死者の数、行方不明者の数に驚いた。<br>
　何故、自分は驚いた、などと簡単な感想で終わってしまうのだろうとこの後、自身の愚かさを知ってしまうのは祖母が見せてくれた「ある本」の為である。<br>
　震災から４ヶ月過ぎ、被災者が自衛隊と楽しそうに話している番組を見て、祖母がふとこう問いかけてきた。<br>
　「あの人達は強いね。あの人達の様に強くいきられるかい。」<br>
私は、答えることが出来ず、苦笑いをした。困る私に祖母は一冊の本を私に差し出してこう言った。<br>
「読んでみなさい。今、テレビの中で笑っている人達の震災直後の気持ちを読んで。」<br>
それは震災に会った人達の文集だった。私は目次を開き、そして少しずつ読んでいく。<br>
　その中には、到底自身には感じられない恐怖、苦しみ、悲しみ、嘆きなどが震えた文字で綴られていた。中には小学生、中学生、そして大人、幼稚園児までもが、今、自分の書いているような作文用紙に想いを書いていた。視線は文集から離れられなくなっていた。<br>
　読み終わると私は何も言えなかった。正直予想していなかった事、知らなかった事実が多すぎて、言葉を失った。祖母は言う。<br>
「これを読んでなお、あの人達はどうしてあんなに強くいられるんだと思う。」<br>
今度は別の意味で答えられなかった。また、祖母は口を開き、こう言った。<br>
「人の優しさは、人を強く出来るんだよ。」<br>
　私は、その言葉にまたテレビの画面を見た。今度は自衛隊が小さな子供と遊んでいる様だった。その顔には一点の曇りもない。楽しそうだった。<br>
　彼ら被害者は文集の中に自ら事を「油断していた」などと綴っている人が沢山居た。震動が始まる瞬間など、誰も分かる人など、居ないはずなのに、どうしてそんな事が言えるのだろう。と私は思った。そうなると今の自分はこれからもこのままだ、大丈夫など、勝手な安心に身を任せている人間なのだ。だから、このままで良いはずがなかった。<br>
　今まで、校内であった募金活動は少なくとも地道な事かもしれない。だが、私は小さな事の積み重なりで大きな事となると思う。被災者の悲しみは時が過ぎるにつれ、薄れ、歴史の中に刻まれるだけの存在になるのであろうか。否、私はそうは思わない。人々が震災の恐ろしさ、命の重さ、そういう感情などが存在すれば、いつまでも残っているものではないかと私は思う。<br>
　負けないで、被災者の皆さん。<br>
 <br>
<br>
愛媛新聞社賞<br>
だれかがくれた家族の平和<br>
松山市立垣生小学校　６年　西岡紗綾<br>
<br>
私の両親はそろって献血をしています。それは、私の弟が一才二カ月の時、病気にかかり、ガンマーグロプリンという薬で助けてもらったからです。ガンマーグロプリンは、血液製剤で、献血による血液から作られています。つまり、どこに住んでいるかも、だれなのかもわからない人たちのおかげで、弟は、今とても元気に学校に通っています。<br>
　だれだか分からない人たちの善意の献血によって救われたのは、弟の命だけではありません。もし、弟が助からなかったら、両親も私もとても悲しんだと思います。だから、献血してくれた人たちは、私の家族みんなの心も救ってくれました。家族みんながいるから幸せで、平和に暮らすことができるので、献血してくれた人たちに、心から「ありがとうございました」とお礼を言いたいと思っています。<br>
　そういう感謝の気持ちから、私の両親も献血をしているそうです。だから、私も弟も今は子供ですが、献血ができる年令になったら積極的に参加したいと思っています。そして、どこに住んでいるかも、だれなのかもわからない病気で苦しんでいる人たちのために少しでも役に立てられたらいいなと思います。<br>
　献血は、ただ血をあげるという事だけではなく、その向こうには、献血を待っている病気の人たち、そして、病気が治ると信じている家族がいる事を忘れてはいけないと思います。人々に笑顔があふれるようになれば、その周りも笑顔であふれます。やがて、家族の平和が世界中の平和につながると思うので、私もきっと役に立てると信じて、がんばりたいです。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51866511" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866504.html">
<title>第7回心の中に平和作文コンクール入賞決まる。</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51866504.html</link>
<description>第7回心の中に平和作文コンクール入賞決まる。
入賞者
松山ユネスコ協会長賞　　　 柴田真歩　　　県立松山西中等教育学校
国際ｿﾛﾌﾟﾁﾐｽﾄ松山会長賞　中原みなみ　　松山市立北条南中学校
愛媛新聞社賞　　　　　　　　 西岡紗綾　　　松山市立垣生小学校
愛媛県教育長賞...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-10-28T21:56:43+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[第7回心の中に平和作文コンクール入賞決まる。<br>
入賞者<br>
松山ユネスコ協会長賞　　　 柴田真歩　　　県立松山西中等教育学校<br>
国際ｿﾛﾌﾟﾁﾐｽﾄ松山会長賞　中原みなみ　　松山市立北条南中学校<br>
愛媛新聞社賞　　　　　　　　 西岡紗綾　　　松山市立垣生小学校<br>
愛媛県教育長賞　　　　　　　樋口沙理　　　松山市立湯山中学校<br>
松山市長賞　　　　　　　　　  今岡明德　　　松山市立道後中学校<br>
松山市教育長賞　　　　　　  藤田七海　　　聖カタリナ女子高等学校<br>
松山市文化協会長賞　　  　後藤光南多　　松山市立粟井小学校<br>
ＮＨＫ松山放送局長賞　 　　中上歩美　　　 聖カタリナ女子高等学校<br>
南海放送賞　　　　　　　　　 増田桃子　　　 県立松山西中等教育学校<br>
テレビ愛媛賞　　　　　　　　 豊田はなの　　松山市立湯山中学校<br>
あいテレビ賞　　　　　　　　 平川嘉奈子　　松山市立道後中学校<br>
愛媛朝日テレビ賞　　　　 　片岡政輝　　　 松山市立拓南中学校<br>
エフエム愛媛賞　　　　　　　松久大輝　　　 松山市立桑原中学校<br>
愛媛ＣＡＴＶ賞 　　　　　　　　山川さくら　　　愛媛大学教育学部附属小学校<br>
えひめリビング新聞社賞 　竹永絢音　　　 松山市立雄郡小学校<br>
優秀賞　　　　　　　　　　　　水口まこ　　　　松山市立桑原中学校<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　柳川達郎　 　　松山市立桑原中学校<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　宮本月花　　 　松山市立湯山中学校<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　池本真有　　　 松山市立興居島中学校<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　宮井桃歌　　　 松山市立桑原小学校<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　新留 歩　　　　 鹿児島県姶良市立帖佐小学校<br>
<br>
学校賞　　　　　　　　　なし<br>
<br>
表彰式　<br>
１1月12日（土）　14:00～　いよてつ髙島屋スカイドーム<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51866504" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51864983.html">
<title>「絵で伝えよう！わたしの町のたからもの」写生会</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51864983.html</link>
<description>「絵で伝えよう！わたしの町のたからもの」写生会

１０月２２日、ユネスコ写生会を椿神社で知られる伊豫豆比古命神社で開催。約７０名の子どもたちが様々なアングルから熱心に描きました。開会式では松山ユネスコ協会の野本会長が挨拶、続いて長曽我部宮司が神社の歴史を...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-10-21T18:26:32+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/1/d/1d434a34.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="22写生会 007" hspace="5" class="pict"  /><br />「絵で伝えよう！わたしの町のたからもの」写生会<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/a/cac4fd05.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="22写生会 009" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
１０月２２日、ユネスコ写生会を椿神社で知られる伊豫豆比古命神社で開催。約７０名の子どもたちが様々なアングルから熱心に描きました。開会式では松山ユネスコ協会の野本会長が挨拶、続いて長曽我部宮司が神社の歴史を紹介、最後に愛媛県美術会の川端会長が絵の描き方など指導くださいました。途中小雨が降りましたが無事行うことができました。<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/3/7/3795f21b.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="22写生会 012" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
作品は来年１月１３日から１５日まで松山市宮西のフジグラン松山５階ギャラリーで展示いたします。小学生対象のわたしの好きな絵投票も行いますのでぜひご来場ください。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51864983" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51860665.html">
<title>2011年度四国ブロックユネスコ活動研究会参加</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51860665.html</link>
<description>10月１日２日の２日間、四国中央市において四国ブロックユネスコ活動研究会が開催されました。四国各ユ協から約90名が参加し松山からは10名が参加いたしました。
オープニングに智子バレエの生徒さんの演技と伊予三島女声合唱団の皆さんの合唱がありました。開会の言葉を四...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-10-02T16:49:27+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[10月１日２日の２日間、四国中央市において四国ブロックユネスコ活動研究会が開催されました。四国各ユ協から約90名が参加し松山からは10名が参加いたしました。<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/0/3/03116858.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="1四国ブロ研 009" hspace="5" class="pict"  /><br />オープニングに智子バレエの生徒さんの演技と伊予三島女声合唱団の皆さんの合唱がありました。開会の言葉を四国中央ユネスコ協会の山中健太郎会長がされ、つづいて主催者あいさつを日本ユネスコ協会連盟理事・愛媛県ユネスコ連絡協議会の野本武男会長があいさつされ、ご来賓の井原巧市長並びに野村勝廣教育長から歓迎のお言葉をいただきました。研究会に入り、四国中央ユネスコ協会の世界寺子屋運動と地域遺産活動の取り組み、日本ユネスコ協会連盟の東日本大震災への支援活動が報告されました。<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/3/c/3cd80914.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="1四国ブロ研 014" hspace="5" class="pict"  /><br />続いて愛媛県紙パルプ工業会技術顧問の藤原勝壽先生の講演があり、紙文化か日本へ伝わってきた歴史、四国中央市の紙産業の歴史、紙製品の広がりを学びました。<br>
<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/5/c53a153f.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="1四国ブロ研 021" hspace="5" class="pict"  /><br />その後、今井琉璃男前理事が「紙の文化とメディア：活字離れを憂う」と題し、子どもが絵本を通じて学ぶことの重要性と多様なメディアによる情報から活字が主としてきた文化を大切にしようと話されました。<br>
夜は交流会、アトラクションに三島高校書道部の書道パフォーマンスが披露され力強い動きと作品にみな圧倒されました。乾杯には山川会員から提供頂いた梅錦大吟醸酒とリキュールで行われ、のみ口のよさに会話もはずみました。<img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/2/3/2312bae0.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="1四国ブロ研 024" hspace="5" class="pict"  /><br /><img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/c/c/cc232150.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="1四国ブロ研 029" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
二日目は四国中央ユネスコ協会理事、写真家の高橋毅氏の長年の撮ってこられた四国の絶景の数々をスライドで紹介頂き改めて四国の美しさを感じました。<br>
その後は各協会の活動報告と情報交換が行われ、最後に来年度の開催地徳島ユ協の挨拶と来年高松で開催される日本ユネスコ運動全国大会開催地高松ユ協の挨拶で二日間の日程を終了しました。午後希望者は紙の資料館や真鍋家住宅に出発しました。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51860665" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51852399.html">
<title>第6回心の中に平和作文　２０１０ 最優秀作品</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51852399.html</link>
<description>松山ユネスコ協会長賞
心の平和について
松山商業高等学校　　楠本　奈央

「え？」一瞬、相手がどういう反応をしたのか理解できなかった。首と手を横に振って彼女は明らかに「嫌だ。」と示したのだった。私は戸惑いを隠せなかった。
それは、私が日本と中国の交流で、...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-08-27T10:56:50+09:00</dc:date>
<dc:subject />
<content:encoded><![CDATA[松山ユネスコ協会長賞<br>
心の平和について<br>
松山商業高等学校　　楠本　奈央<br>
<br>
「え？」一瞬、相手がどういう反応をしたのか理解できなかった。首と手を横に振って彼女は明らかに「嫌だ。」と示したのだった。私は戸惑いを隠せなかった。<br>
それは、私が日本と中国の交流で、上海の外国語学校の交流授業に参加しているときの出来事であった。班に分かれていた向こうの学校の人と、日本から来た私たちは、一人一人交流の記念に写真を撮っていた。多くの人たちが和やかに写真を撮る中で、全く話さなかった彼女に「写真くらいなら一緒に写ってくれるだろう。」と話しかけたところ、冒頭のような反応をされた。<br>
もちろん、みんながみんな彼女のような反応をしたわけではない。お昼のときリンゴが好きだというと食堂から遠い教室まで行ってリンゴをくれた人がいたり、日本のドラマ、歌手などの話をして一緒に騒いだときもあった。話題がなくなると、目についた分からない物を聞いていくと、丁寧に一つずつ教えてくれたりもした。<br>
会話が弾んだり、一緒に笑ったりできたのは、お互いがお互いに近づこうとしたためだったと思う。これは国際交流の場だけではなく、学校でも言えることだ。どちらか一方が会話を拒否してしまえば、仲よくなることは難しくなるだろう。<br>
私たちが日本に帰るとき、朝早く空港まで見送りに来てくれた友達がいた。みんな一緒に晩ご飯を食べたり、買い物をしたり、写真を撮ったり、楽しい時間を共有した友達だ。その友達の中にホームステイでお世話になった友達もいた。数日間しか一緒に生活しなかったにもかかわらず、別れがつらくて私たちは、ぼろぼろ泣いた。<br>
この交流で学んだことが一つある。それは「共感する」ということだ。一緒に、楽しいと、美味しいと共感すること。話の中で相手の気持ちに共感すること。この「共感」こそが大事だと私は学んだ。お互いに近づいて、話して、相手に共感する。これが、人々の心の平和に最も必要なことだと私は思う。<br>
残念なことに、今の日本と中国の関係はあまりよくない。私は、それは、中国対日本、あるいは、中国人に対して私たち日本人という目で見ているからではないだろうか。<br>
中国に交流に行く前、「中国人は何を話すのだろう、話がちゃんと合うのだろうか。」と不安に思っていた。しかし、実際に交流してみると、彼らはとても陽気で、親切で、一人一人がとてもいい人間であるとわかった。<br>
国、人種、性別、年齢、様々な違いを越えて、偏見や固定概念をもたず、一人の人間対人間として、相手を理解しようと心を寄せ共感することこそ平和につながると私は思う。そのことをこれからも忘れず生きていきたいと思う。<br>
 <br>
国際ソロプチミスト松山会長賞<br>
平和の共有<br>
愛知県立豊田西高校　　副島　和樹<br>
<br>
　僕はインドで暮らした事がある。数年であったが、自分の考えや見方に大きく影響を与えた。枯れ葉の様な手足のストリートチルドレンが、よりか細い赤ちゃんを抱いてバクシーシ（施し）を求める。僕達が公園にピクニックに行ったとき、足の無い上半身をスケボーの様な板に乗せて木の下に横たわっているやせ細った老人がいた。じっと僕の弁当の方を見て、やがて寝てしまった。しばらく散歩してまたその木の下に戻ると、老人の上に布が被さっていた。彼は、たった一人で人知れず息を引き取っていたのだ。僕は凄い衝撃に打たれた。同時に自分がどれほど恵まれていて、平和な生活を送ってきたかを思い知らされた。そして、インドでは物が常に不足していた。日本のものは全て貴重品であった。お菓子などは必ず、妹や友人と分け合って食べた。自分の食べられる量は減るが、幸せを共有し「おいしいね。」と笑い合えることは僕達にとって、とても楽しいことだった。<br>
　平和とはいかなるものかと考える事は、まず今の自分達の普通の生活、当たり前の生活がとてつもなく平和であると気付くことだ。そして、普通で平和な生活が当たり前に出来無い人、道端で死を迎える人が今もどこかで存在しているということだ。豊かさにあふれた社会の中、人々は他人の苦しみや悲しみを感じ、共有することができなくなっている。そうでなければ、どうして幼児虐待や高齢者の不明死などの悲惨な事件が起きようか。目に見えるものだけが自分の世界であり、価値あるものだけに目を奪われている。知らず知らずのうちにその様な生活を送っていないだろうか。僕達がデパートで新型の携帯や服を物色している同じ時に、食べ物や寝る所を探し求め、苦しんでいる子供が世界中にいるという事実を噛みしめよう。<br>
　世界を変えたいと思うのなら、まず自分自身と、身近な周りのことをよく知ることから初めよう。その新型の携帯はどこで、誰によって組み立てられているか。その服はフェアトレードのものなのか。環境に優しいものが、ちゃんと世界に優しいものなのか。少し立ち止まって考えたい。争いが無いことが平和なのではない。人々が明日に不安や危険を感じることなく、生活できることが真の平和である。僕一人が世界中の人々を動かすことは到底できない。しかし、一人が平和を意識し、またもう一人にその思いを語り、そのまたもう一人の心を動かしたのならば、世界は大きく動き出す。自分一人の平和を、世界の平和として共有することができるはずだ。小さな一歩がいつか、大きな一歩になることを信じて。<br>
 <br>
愛媛新聞社賞<br>
平和を感じる瞬間　　<br>
松山市立小野中学校　　窪田智弘<br>
<br>
　ぼくが、平和だと感じる瞬間は、食べているときと、好きなことをしているときです。<br>
　まず、食べているときに平和だと感じる理由は、三つあります。一つ目の理由は、食べることができるのは、食べ物が十分にないとできないことです。食べ物は、平和でないと戦争で農地が荒れたりして作れません。だから平和というものを感じることができます。二つ目の理由は、何でも食べることができるからです。日本のものだけでなく世界中のものが食べることが今はできますが、もし戦争で外国との関係がわるくなったら、食べられなくなるものがたくさんあると思います。だから平和を感じることができます。三つ目の理由は、ゆっくりと楽しく食べることができるからです。もし戦場で食べ物にありつくことができたとしても、いつ敵が来るか分からないような状態では、ゆっくり食べることもできないし、戦場では、食べ物が少なく奪い合うような状態なのでみんなで楽しく食べるということもできません。だからこの瞬間が平和だと感じることができるのです。<br>
　もし、この中の一つでも当てはまらなかったらそれは、平和ではないと思います。<br>
　次に、好きなことをしているときに平和と感じます。その理由は二つあります。一つ目の理由は、もし戦争だったら好きなことはできずに兵隊になったりしないといけません。だから、この瞬間は平和だと感じます。二つ目の理由は、好きなことを選べるということです。好きなことを選ぶというのは、自由という権利があるからです。もし、戦争が起きたりしたらこの自由という権利は奪いとられてしまいます。また好きなことを自由にしても良いという権利があったとしたとしても、貧困で困っていたりすると、好きなことをする場所や道具がないので好きなことができません。だから好きなことが選べるということが平和だと感じます。<br>
　このように、食べることや好きなことをするというのには、平和というものが必要です。<br>
　しかし、今の世界の現状は、そういうことが一つもできない人がたくさんいます。つまり平和だと感じることのできていない人がいるということです。<br>
　ぼくは、これからは、そのような人達のためにいろいろと協力できるようなことがあればどんどんやっていきたいです。<br>
　また、自分一人がするだけでなく、家族や学校の先生、友達などたくさんの人に平和ということの大切さを知ってもらい、今この世界では、平和ということを感じることのできない人がいっぱいいるということを知ってもらいたいです。<br>
　そして、ふだん何気なく過ごしているこの時間を、とても平和な時間だということをかみしめながら生きていきたいです。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51852399" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964853.html">
<title>「心の中に平和」作文コンクール募集要項</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964853.html</link>
<description>３月１１日に起こった東日本大震災の被災者の皆様に哀悼の意とお見舞いを申し上げます。
地震、津波、原子力災害、経済活動への被害、電力・燃料・生活物資不足、買いだめ・風評被害・差別など、平和な生活が一瞬にして壊れてしまいました。天災なのか人災なのか判断は難し...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-07-20T18:25:11+09:00</dc:date>
<dc:subject>作文コンクール</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[３月１１日に起こった東日本大震災の被災者の皆様に哀悼の意とお見舞いを申し上げます。<br>
地震、津波、原子力災害、経済活動への被害、電力・燃料・生活物資不足、買いだめ・風評被害・差別など、平和な生活が一瞬にして壊れてしまいました。天災なのか人災なのか判断は難しいですが、早期復興目指して日本全体で頑張らないと被災地のみなさんのはじめ、平和な心を取り戻すことはできないと思います。<br>
改めて、自然への謙虚さ、命の大切さ、感謝の気持ちを考えたいと思います。<br>
<br>
<b>「平和って何！」</b><br>
ユネスコ憲章前文には<i>「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」</i>とあります。<br>
<br>
みなさんは平和の意味を国語辞典で引いたことがありますか。<br>
国語辞典には2つの意味が書いてあります。<br>
<br>
1つは心配やもめごとがなく和やかな状態。<br>
もう1つは戦争や災害などがなく不安を感じないで生活できる状態。<br>
<br>
今の日本は心配やもめごとはどうでしょうか。校内暴力、いじめ、不祥事。災害、犯罪、事故。平和な社会とは言えません。<br>
<b>「君だけが平和じゃダメなんよ」</b><br>
一人ひとりの心の中に平和な心が育てば、いじめや不安、争いごとのない家庭や学校そして社会がうまれるはずです。<br>
家庭や学校、地域でのボランティア・交流・支援活動などを通して、自分の心の中に平和が生まれた体験を作文に書いてください。きっかけはたくさんあるはず、いろんな経験をしっかり受け止め、「鈍感の悲劇」という事態にならぬように考えてみましょう。<br>
<br>
みなさんの応募を待っています。<br>
<br>
<br>
<b>募集内容</b><br>
<br>
「心の中に平和」を感じたり、考えた内容の未発表の作文<br>
・ユネスコの世界寺子屋運動（識字教育）・世界遺産活動・持続可能な開発のための教育の10年など、平和にかかわる活動を通しての考え<br>
・ボランティア活動　募金やチャリティー、福祉や奉仕体験を通しての考え<br>
・平和学習を通じての体験、これから自分たちのできる活動についての考え<br>
・スポーツマンシップ、芸術・伝統活動を通しての考え<br>
・環境問題・国際問題・社会問題等の公民活動を通じての考え<br>
・家庭や学校、地域社会で安全・安心等のコミュニティ活動を通しての考え<br>
<br>
<b>募集要項</b><br>
・対象は小学生、中学生、高校生<br>
・400字詰め原稿用紙3枚程度(小学生は2枚程度)<br>
・原稿用紙に濃い鉛筆やポールペンで読みやすく縦書きで書いてください。<br>
・表紙に題名、名前(ふりがな)、学校名、学年、性別、連絡先住所、電話番号、(連絡先が学校の場合は担当の先生のお名前)を明記しご送付下さい。本文にも1行目に題名、2行目に学校名、学年、氏名(匿名の希望者は性別記載) 1行空けて4行目から本文を書いてください。<br>
・宛先<br>
〒790-0067 松山市大手町1丁目12-1 愛媛新聞社内　松山ユネスコ協会<br>
web:<a href="http://unesco.jp/matsuyama/" target="_blank">http://www.unesco.jp/matsuyama/</a><br>
・締め切り　<b><font color="red">2011年9月15日</font></b>　　　　　　　<br>
・審査委員　ユネスコ会員の中から教員経験者、学識経験者で構成する審査委員<br>
・応募に掛かる諸経費は自己負担です。作品は返却しません。入選者には表彰式の案内をいたします。表彰式は11月12日にいよてつ高島屋で開催いたします。入選されなかった方への告知はいたしません。入選作品についての出版権、および著作権は、主催者に帰属します。<br>
<br>
<br>
<u>主催</u>　松山ユネスコ協会　<br>
<u>共催</u>　国際ソロプチミスト松山　愛媛新聞社　愛媛県ユネスコ連絡協議会　北条ユネスコ協会<br>
<u>後援</u>　愛媛県教育委員会　松山市　松山市教育委員会　松山市文化協会　NHK松山放送局 南海放送　テレビ愛媛　あいテレビ 愛媛朝日テレビ　FM愛媛　愛媛CATV　リビングまつやま<br>
<br>
<br>
<br>
参考記事:<br>
昨年度特別賞・優秀賞受賞者一覧<br>
(一部入賞作も掲載されています。)<br>
<a href="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50744066.html">http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50744066.html</a>
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=50964853" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51631959.html">
<title>はがき１枚から始まる国際協力「ユネスコ世界寺子屋運動」書きそんじハガキ募集</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51631959.html</link>
<description>はがき１枚から始まる国際協力「ユネスコ世界寺子屋運動」書きそんじハガキ募集
　あけましておめでとうございます。文字で気持ちを伝える。「読み書きできるのは当たり前」と思っていませんか？世界には教育に恵まれない人がたくさんいます。世界寺子屋運動は日本ユネスコ...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-05-02T19:34:31+09:00</dc:date>
<dc:subject>書損じはがき</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[はがき１枚から始まる国際協力「ユネスコ世界寺子屋運動」書きそんじハガキ募集<br>
　あけましておめでとうございます。文字で気持ちを伝える。「読み書きできるのは当たり前」と思っていませんか？世界には教育に恵まれない人がたくさんいます。世界寺子屋運動は日本ユネスコ協会連盟が日本のＮＧＯとして行っている識字教育活動です。<br>
　宛名を間違ったり、残った年賀状をお寄せ下さい。<br>
<br>
学校キャンペーン実施中　松山市内の小中学校に協力依頼<br>
法人会員・企業・団体による協力<br>
市民の方からの提供。一枚一枚が大きな力になります<br>
<br>
〒７９０－００６７松山市大手町１－１２－１愛媛新聞社内<br>
松山ユネスコ協会事務局　ＴＥＬ／ＦＡＸ　０８９－９２１－７１５６<br>
<br>
直接送付<br>
〒１５０－００１３東京都渋谷区恵比寿１－３－１朝日生命恵比寿ビル１２階<br>
（社）日本ユネスコ協会連盟｢書きそんじハガキ」係　宛<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/4/f/4f9f40b7.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/lazurite_ua/imgs/4/f/4f9f40b7-s.jpg" width="400" height="300" border="0" alt="2009年平和の鐘 003" hspace="5" class="pict" align="right"  /></a>
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51631959" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817962.html">
<title>平成２２年度書損じはがき回収学校キャンペーン</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817962.html</link>
<description>松山ユネスコ協会では、世界寺子屋運動推進のために、松山市内の学校から書き損じはがきや切手などの回収を行っています。
全国の学校から集まった、はがきや切手は日本ユネスコ協会連盟を通じて、世界寺子屋運動(識字活動)に使われます。
ご協力頂いた松山市内の小中学校...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-05-02T19:30:44+09:00</dc:date>
<dc:subject>書損じはがき</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[松山ユネスコ協会では、世界寺子屋運動推進のために、松山市内の学校から書き損じはがきや切手などの回収を行っています。<br>
全国の学校から集まった、はがきや切手は日本ユネスコ協会連盟を通じて、世界寺子屋運動(識字活動)に使われます。<br>
ご協力頂いた松山市内の小中学校の皆さんありがとうございました。<br>
<br>
平成２２年度学校キャンペーン協力校<br>
小学校　１７校<br>
小野小学校　北久米小学校　久米小学校　窪田小学校　潮見小学校　東雲小学校　高浜小学校　椿小学校　道後小学校　久枝小学校　姫山小学校　福音小学校　堀江小学校　味酒小学校　三津浜小学校　みどり小学校　和気小学校<br>
中学校　９校<br>
内宮中学校　鴨川中学校　久米中学校　拓南中学校　椿中学校　道後中学校　三津浜中学校　雄新中学校　湯山中学校<br>
高等学校　１校<br>
松山中央高等学校<br>
<br>
集まったハガキ枚数　５１６６枚(５０円)　１２６枚（４１円４０円２０円１０円)<br>
<br>
なお、世界寺子屋運動、書損じはがき回収活動についてのご質問がございましたら、松山ユネスコ協会までお問い合わせ下さい。９２１－７１５６(月・木の午後)　<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51817962" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964861.html">
<title>えひめユネスコ絵画展 「絵で伝えよう！ わたしの町のたからもの」</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/50964861.html</link>
<description>――世界中のみんなが守っていこうと決めた「たからもの」がユネスコ世界遺産と呼ばれているんだよ――
松山ユネスコ協会では、世界遺産について広く人びとに紹介するとともに、地域の文化財や身近な自然環境のすばらしさを見つめなおし、それらを未来へと引き継いでいく気...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-05-02T18:39:44+09:00</dc:date>
<dc:subject>イベント情報</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<b>――世界中のみんなが守っていこうと決めた「たからもの」がユネスコ世界遺産と呼ばれているんだよ――</b><br>
松山ユネスコ協会では、世界遺産について広く人びとに紹介するとともに、地域の文化財や身近な自然環境のすばらしさを見つめなおし、それらを未来へと引き継いでいく気持ちを育てることを目的として、自分たちの町にある「たからもの」をテーマにした写生会と絵の募集・展示を行っています。<br>
<br>
対象は小学生と中学生。児童・生徒に地域の文化と自然を大切にする気持ちを育む機会をつくると同時に、地域で展示会を行い、地域の人びとにも地域の文化財や自然を大切にしていくことの意義を訴えています。<br>
<br>
<b>絵画展作品募集</b><br>
・募集内容　身近な、有形無形の文化財・伝統行事・自然環境を題材とした写生画<br>
・募集方法　学校への募集依頼、及び写生会での作品<br>
・募集期間　9月1日～10月31日必着<br>
・審査　愛媛県美術会　（学校からの応募作品と写生会提出作品を合わせて審査）<br>
・作品展示　2012年1月13日(金)～15日(日)予定　会場 フジグラン松山ギャラリー<br>
・表彰式　審査後、入賞者に表彰式を案内し賞状と記念品を贈る。<br>
・賞　日本ユネスコ協会連盟会長賞　松山ユネスコ協会長賞　 愛媛県美術会長賞　愛媛新聞社賞　松山市長賞　松山市教育長賞　松山市文化協会長賞　松山市国宝重要 文化財所有者連絡協議会長賞　NHK松山放送局長賞　南海放送賞　テレビ愛媛賞 あいテレビ賞　愛媛朝日テレビ賞　FM愛媛賞　愛媛CATV賞　リビングまつやま賞　優秀賞<br>
<br>
<b>写生会参加者募集</b><br>
・写生会日時　10月22日(土) 雨の場合23日(日)　10時～15時まで　受付9時半～<br>
・写生場所 伊豫豆比古命神社（椿神社） 居相2丁目（当日は美術会から指導の先生がこられます。）<br>
・募集内容<br>
　　対象　園児・小学生(保護者同伴)中学生<br>
　　募集方法　申し込み用紙を配布(小学校)、及び愛媛新聞に募集掲載<br>
　　締切　10月14日必着　郵送又はＦＡＸで松山ユネスコ協会まで<br>
<br>
<br>
<u>主催</u>　松山ユネスコ協会　<br>
〒790-0067　松山市大手町1-12-1　愛媛新聞社内<br>
TEL/FAX (089)921-7156<br>
web:<a href="http://unesco.jp/matsuyama/" target="_blank">http://www.unesco.jp/matsuyama/</a><br>
<u>共催</u>　愛媛県美術会 愛媛新聞社 愛媛県ユネスコ連絡協議会 北条ユネスコ協会<br>
<u>協賛</u> (株)伊予銀行 (株)愛媛銀行 (株)愛媛ＣＡＴＶ （医）くす小児科　三徳噐電機(株) 四国建設機械販売(株) (株)フジ <br>
<u>後援</u>　愛媛県教育委員会 松山市 松山市教育委員会 松山市文化協会　松山市国宝重要文化財所有者連絡協議会　NHK松山放送局　南海放送　テレビ愛媛　あいテレビ　愛媛朝日テレビ　FM愛媛 愛媛CATV　リビングまつやま　(社)日本ユネスコ協会連盟
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=50964861" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817969.html">
<title>被災地のこども支援金寄贈</title>
<link>http://blog.livedoor.jp/lazurite_ua/archives/51817969.html</link>
<description>東日本大震災こども支援金に国際ロータリー第2670地区（四国地区）亀井義弘ガバナー様から４６万円を松山ユネスコ協会を通じて寄付いただきました。　４月８日

東日本大震災の支援について（日本ユネスコ協会連盟配信）
日本ユネスコ協会連盟は3月14日（月）より、震災支...</description>
<dc:creator>lazurite_ua</dc:creator>
<dc:date>2011-04-09T19:47:42+09:00</dc:date>
<dc:subject>イベント情報</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[東日本大震災こども支援金に国際ロータリー第2670地区（四国地区）亀井義弘ガバナー様から４６万円を松山ユネスコ協会を通じて寄付いただきました。　４月８日<br>
<br>
東日本大震災の支援について（日本ユネスコ協会連盟配信）<br>
日本ユネスコ協会連盟は3月14日（月）より、震災支援として、「東日本大震災 子ども支援募金」を呼びかけています。<br>
この募金は、被災地域の教育委員会・学校・ユネスコ協会と連携し、被災した子どもたちへの学習用品の支援をはじめ、学校で必要な備品などの支援となります。<br>
なお、当連盟では調査隊を宮城県・岩手県に派遣し、被災地の学校をはじめとする状況や支援の要望などを把握し、適宜支援を行っております。<br>
<br>
現在の情報<br>
・「著名人のメッセージ」や「子ども支援募金」の情報。<br>
・当協会連盟職員が被災した学校を撮影した映像などをYou Tubeにて配信しています。<br>
・募金活動のお知らせ<br>
詳しくはこちら↓<br>
http://www.unesco.or.jp<br>
皆さま、ご協力を宜しくお願いいたします。<br>

<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=299882&name=lazurite_ua&pid=51817969" width="1" height="1" />
]]>
</content:encoded>
</item>

<cc:License xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" rdf:about="http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.0/"><cc:permits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Reproduction" /><cc:permits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Distribution" /><cc:requires rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Notice" /><cc:requires rdf:resource="http://web.resource.org/cc/Attribution" /><cc:prohibits rdf:resource="http://web.resource.org/cc/CommercialUse" /></cc:License><image rdf:about="http://creativecommons.org/images/public/somerights20.gif"><url>http://creativecommons.org/images/public/somerights20.gif</url><link>http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.0/</link><title>Some Rights Reserved</title></image></rdf:RDF>

