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	<title>さまざまなデザイン</title>
	
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	<description>ヨーロッパの目</description>
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		<title>イノベーターの本の読み方</title>
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		<pubDate>Fri, 10 Feb 2012 21:48:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イノベーティブ思考]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[今の世の中は複合的に動いているから、あるパーツだけを相手にしてもダメだということが盛んに言われます。ぼくもこのブログで繰り返して書いていることです。その一例として消費者の購入決定パターンがあげられます。店舗での実物、噂、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今の世の中は複合的に動いているから、あるパーツだけを相手にしてもダメだということが盛んに言われます。ぼくもこのブログで繰り返して書いていることです。その一例として消費者の購入決定パターンがあげられます。店舗での実物、噂、TVのCM、オンライン広告、ブログ、SNSのコミュニティ・・・と数々のメディア接触が「この商品を買ってみようかな」という動機を生む。TVでタレントの使用シーンをみて「うん、決めた！」となる確率が落ちてきたわけです。だからサイトのインターフェースを斬新なものにすれば画期的な変化が起こる…と強すぎる願望をもってはダメだということです。ユーザーの一連の経験を総合的に捉えないといけないのです。どのように複数の経験が組み合わさると、どのようなタイプのユーザーの心は動くのか？</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/Apple-IIc-1984.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4885" title="App" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/Apple-IIc-1984-229x300.jpg" alt="" width="229" height="300" /></a></p>
<p>昨日、トリエンナーレで<a href="http://www.frogdesign.com/">frog design</a> の本テーマに関するプレゼンターションを聞きながら、一人でこういうリサーチをするとしたら、どんなタイプの人間が良いのだろうかと思いました。通常、デザイナーやエスノグラフィーのエキスパートなどがチームを組みますが、まったく一人であればバックグランドよりも、「人間力」的な側面が重視されてくるでしょう。frog design のプレゼンテーターはミラノ工科大学にプロダクトデザインの学科ができる前の卒業でした。つまり建築学科卒業のプロダクトデザイナーです。カスティリオーニなどマエストロ達に育まれた世代で、幅広い視点でリアルを把握することが訓練されている&#8230;..ことが期待されて教育をうけた人です。</p>
<p>『<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/2297">本は読めないものだから心配するな</a>』にあるような読書体験とはあらゆる本の痕跡であり、それは<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/3294">旅も同様</a>であると書く管啓次郎さんはぼくと同い年です。本は「はじめに」から「あとがき」までを一貫して読むことを教えられ、Aという本の１章目とBの本の２章目だけを読んでレポートを書くことがあまり推奨されなかった時代の「子供」です。しかし、ぼくはーたぶん管さんもーそうした章分けの息苦しさを感じながら生きてきたのです。だが、ここで書いておきたいのは、<strong>「はじめに」から「あとがき」までを通して読むことを否定しているのではなく、一冊の本の構成をしっかりと理解してこそ、あの本とこの本の「結合」ができるということです。分断された情報を一つのカタチにする能力は、一つのカタチとは何であるかを分かっていないといけないわけです</strong>。</p>
<p>frog design のプロジェクトフィーがいくらかは知りませんが、冒頭に述べたようなリサーチを徹底すればするほど高額になってきます。統合したリサーチが必要とされればされるほど、その予算が組める大手の会社しか実施できなくなります。敷居が高くなるのです。予算が組めない会社は断片的なシーンしかつかめず、多面的なユーザー経験をはっきりとデータ化できずに負けが込む可能性が高くなります。それでは大手にしか勝ち目がないのか？と問えば、そうではありません。ある統合されたカタチは一人の人間の力でカバーすることが可能だからです。落し穴をなるべく減らし多様なアイデアを生むためにチームは生きますが、チームだけが勝算の唯一の道だけではないことも事実です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/Innovation_thumb.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4886" title="In" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/Innovation_thumb-300x153.jpg" alt="" width="300" height="153" /></a></p>
<p>世の中にイノベーションをおこすに人々が集まることは大事です。だからといって駒で生きるメンタリティであったはいけません。一冊の本ははじめから最後まで読み通し、しかし、それをすべて一冊の本として頭に入れておかないと気が済まないとのプレッシャーに耐えられないメンタリティであっては生き残れないということです。</p>
<p>「<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/4860">非完璧主義</a>」がここでも生きます。</p>
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		<title>ミラノサローネ２０１２（５）　学術出版から考える</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 17:25:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2012]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[村上春樹の『1Q84』が各国語で出版され話題になり、ヨーロッパのどこの書店でも三島由紀夫やよしもとばななの本を見つければ、日本の作家の本はそれなりに海外で流通しているのだろうという気になります。ただ、それは日本の出版社が [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>村上春樹の『1Q84』が各国語で出版され話題になり、ヨーロッパのどこの書店でも三島由紀夫やよしもとばななの本を見つければ、日本の作家の本はそれなりに海外で流通しているのだろうという気になります。ただ、それは日本の出版社が営業した結果がダイレクトな現象となっているというよりーこのあたりの事情は素人の想像ですがー、各国語の出版社かエージェントがリスクを負って翻訳本を出版してきた功績ではないかと思います。一方、アカデミックな研究者が世界で成果を評価されるには、一流の英語の学術誌に論文が掲載されないといけないと言います。このフィールドも疎いのですが、要するに「舞台」にのらないで観客席で何をやろうがー貴賓席であろうが！－それは評価の対象に入らないのです。しかし、そのサーキットにのりきっていないことが現実であることをいろいろなランキングで見せつけられます。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/article-page-main-ehow-images-a06-3a-ue-start-online-academic-journal-800x800.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4876" title="aj" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/article-page-main-ehow-images-a06-3a-ue-start-online-academic-journal-800x800.jpg" alt="" width="225" height="220" /></a></p>
<p>さらに学問の成果を世に問うには、雑誌掲載だけでなく書籍の出版という手段が必要です。京都大学学術出版会の斉藤至さんの『国境を越える学術出版ー英文共同出版の１０年』という文章を読み、日本の出版社が英語の学術出版でほとんど主導権を握れていない事情を知りました。まず第一に、査読体制が不十分であるとの指摘があります。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">特徴や評価基準の文化差から、相互の査読体制が食い違う(split)場合も生じるが、共同先に向けて企画の刊行意義を説得的に提案する工夫が求められる。</span></p></blockquote>
<p>共同先とは海外の出版会を指しています。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">日本からは英文書を海外に普及するまとまったチャネルが存在しない。北米ISBS社とはTPP社（豪のTrans Pacific Press）の仲介により２００９年から直取引を開始した。ただし共同出版では、お互いが市場を侵犯せず共存するべく販売先を地域ごとに分担(share)し、小会が日本国内販売、共同先が日本国外販売を分担する。共同先の単独出版物を日本で販売する場合は小会が代行し、日本国外で直に普及が可能なのは、小会の単独出版物に限られる。</span></p></blockquote>
<p>共同先と一緒に出版物を作っていくことがメインのビジネスであると想定されており、しかも、その書籍の企画を独自に推進するには敷居が高いようなのです。「なお契約上は、共同先の管轄しない地域ならば直販売できる。フランクフルトでのEurospan 社、南ムンバイでのAllied Publishers社との接触は、今後の有益な取引資源である」ともありますが、影響を及ぼしやすく商売のうまみもある市場へのアクセスが限定的であることが伺えます。が、かといって肩に力が入り過ぎてもいけません。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/article-page-main-ehow-images-a06-86-ru-published-academic-journal-800x800.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4877" title="aa" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/article-page-main-ehow-images-a06-86-ru-published-academic-journal-800x800.jpg" alt="" width="225" height="220" /></a></p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">しかし問題は、英語化のトレンドに遅れるという焦燥に駆られ、地域の固有性を十分に経由せずして英語化へと走る事態であるように感じる。英語化のトレンドはむしろ英語をハブとした新たな翻訳交流を切りひらくものだろう。中心文化から周辺文化への侵略という言辞で「否定性」を煽り立てるのではなく、ローカリティに密着したユニークな知見を積極的に発信する好機として受けとめたい。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">＜中略＞</span></p>
<p><span style="color: #000080;">また特に地域研究の分野でも、日本人が欧・米的な分析手法で対象地域を研究する著作よりも、各国人がそこから内在的に引き出した基準で各々の共通性と差異を比較しあう著作が有力な学術賞を多数受賞している。</span></p></blockquote>
<p>これはとても示唆に富みます。現状、多かれ少なかれ、市場の流通と企画を先導できないのは日本の企業活動の弱点であり、学術出版が周回遅れであるわけでもありません。いやむしろ、学術出版の世界であらたなモデルを作ることが不可能ではないとの印象は与えてくれます。</p>
<p>デザインの世界のヒントがここにも満載されています。特にデザイン言語という見地で考えるべきことが多数あります。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>「非完璧主義」待望論</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 21:06:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イノベーティブ思考]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[ミラノの街を歩いていてよく思うことがあります。この街の精神風土がなんらかのカタチで変わるとしたら、中国人街を起点にする以外考えられないのではないかということです。かつての倉庫や工房を中心としたゾーンに新しいアートギャラリ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ミラノの街を歩いていてよく思うことがあります。この街の精神風土がなんらかのカタチで変わるとしたら、中国人街を起点にする以外考えられないのではないかということです。かつての倉庫や工房を中心としたゾーンに新しいアートギャラリーやスタジオが生まれたとしても、それは精神風土にはあまり影響を与えないかもしれない。やはり変化はマージナルやボーダーと定義づけられるゾーンと人々の「専売特許」ではないか。強いモチベーションをもたざるを得ない状況にない人たちが、自ら変化を求めることは遊戯に過ぎないでしょうー挑発的に言うならば。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/ch1-300x224.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4866" title="ch1-300x224" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/ch1-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>「グローバル人材」という奇妙な言葉が流通をはじめてそれなりの時間がたちました。これを現象として眺めていてつづくづく思うのは、ユートピア志向を背景にした完璧主義のひとつなんだということです。「英語人間」はコモディティ化した買い替えのきく消費財であり、「グローバル人材」を付加価値の高い消費財である。ないものねだりに近い・・・。「インディジョーンズのように頭脳が柔軟で機転がきき、視野の広い教養あり、リスクを自らとる」なんてめったにいない人たちを理想像と描くのは精神的にきつすぎるように思えて仕方がありません。いっそうのこと、流暢な英語が取り柄であることが「グローバル人材」であると言い切った方がどんなに楽なことかーしかし、人々は決してそう言いたがらない。</p>
<p><strong>人間は与えられた状況でそこそこのことをする存在です。あえていえば状況選択にしか人の能力の発揮するところがない。</strong>自分を追い込む能力とでも表現しましょうか。追い込まれた状況をもたざるえをえない人たちースイスやベルギーのような小国で多言語を操る人が多いーにおいて、インターナショナルはユートピアであるよりマージナルからの必然であるという側面が強いはずです。北欧の人たちが英語が上手いのも同じです。今日、ソーシャルイノベーションの教授と昼食をとりながら「<strong>非完璧主義</strong>」ーいわゆるβヴァージョン主義ーというのが、今、非常に大切になっているということを話し合いました。完璧主義では要請されるスピードとマッチせず前進できないことがあまりに多いのです。ぼくは、<strong>日本で言われている「グローバル人材」も、非完璧主義の視点で再考すべきではないかと考えます</strong>。</p>
<p>現代の社会要求の変化の大きさとスピードを問題にしてβヴァージョンを選択するのであれば、そこに対応する人間もβヴァージョンであることを認めないとおかしい。それにも関わらず、状況が難しいから人間のレベルはより高次を求めるー気持ちはわかりますが、人間の質がそう自動的にあがるわけはなく、その難しい状況のなかで人は「生物」ーカメレオン的に！－として適応していくしかないと諦めるのが良いーと思います。すべてがコモディティ化していくから、コモディティ化しない小さなエリアを探していき、そこに傑出した人間であることを望むというのはストレスだけが積もりゆく見果てぬ夢ではあるまいか・・・それこそドンキホーテ的妄想に駆られている！</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/08C9CDCA-93F0-372D-DC3FD21B45F47F5B_1.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4867" title="gl" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/02/08C9CDCA-93F0-372D-DC3FD21B45F47F5B_1-300x300.jpg" alt="" width="300" height="300" /></a></p>
<p>・・・・それにしても、変化の大きさとスピードの速さを前提に語っていますが、ここに疑問を投げかける必要はないでしょうか？どうもマッチポンプ的に状況をクリティカルにみせ、そこで「<strong>怪力グローバル人材</strong>」の登場を待望するように芝居が仕組まれているとも見えるんだよなあ・・・もっと深呼吸して腹を据えて世界を眺めてみようよ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<item>
		<title>「宗教は文化のひとつだっていうこと」</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Jan 2012 13:46:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>
		<category><![CDATA[子育て]]></category>

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		<description><![CDATA[ぼくは宗教に関して典型的な日本人です。要するに無神論ならぬ脱宗教。だからイタリアで子供を育てていれば、どこかのタイミングで宗教の問題にぶつかるのは分かっていましたが、「そろそろだなあ」と思っていたら、そろそろがきました。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ぼくは宗教に関して典型的な日本人です。要するに無神論ならぬ脱宗教。だからイタリアで子供を育てていれば、どこかのタイミングで宗教の問題にぶつかるのは分かっていましたが、「そろそろだなあ」と思っていたら、そろそろがきました。小学校の宗教の時間も選択制でしたが、「キリスト教のことは知っていたほうがいいよ」と言って押し込んで（！）おきました。その時間、イスラム教の子たちは別の学習をしているのですが、息子は幼児洗礼をうけているほとんどの子供と一緒にキリスト教について勉強してきました。本人は面白いと言うし成績もよかったので親としてガードが甘くなっていました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/sistina6.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4854" title="B" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/sistina6-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a></p>
<p>今年の９月からはじまる中学の申込書を書くにあたり、宗教の授業をどうするかが親子のテーマになりました。宗教のほかにも選択しはいくつかあります。１）第一外国語は英語で、第二外国語をフランス語かスペイン語　２）週の授業合計時間を３０時間か３６時間　３）給食をとるかどうか（とらない場合は自宅で昼食をとり学校に戻る）　４）カトリックの授業をとるか（とらない場合、他の学習をするか、早く帰宅するか、などの選択もある）　　１）はフランス語であっさり決定　２）は若干もめたけど３６時間　３）も若干もめたけど給食あり　で話し合いがすんだのですが、４）が決まりません。</p>
<p>「今の宗教の時間でも、みんなは教会で（教理を教える）カテキズモをやっているから、どうしても差がでるんだ。お祈りのしかたを知らないし・・・・カテキズモをやっていればよかった」と言い、その差を味わうのが嫌だから宗教の授業はとりたくないというのです。そして「みなはもうカテキズモを終えている今、一人でカテキズモに行きたくない」と。カテキズモをどうするかを数年前に話し合ったとき、「親である自分たちが信じていない宗教の教理をかなりの時間を割いて無理をすることもないだろう。自分で宗教を考える年齢になったとき、勉強すればよい」という判断をしていました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/catechismo3.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4855" title="c" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/catechismo3-300x294.jpg" alt="" width="300" height="294" /></a></p>
<p>中学の宗教については当初どちらでもいいかなと思っていたのですが、息子のNOの理由を聞いているうちに、それも良くないなあと思い始めました。「そういう理由なら、宗教の授業をとるほうを勧めるよ。パパもママもキリスト教をもっとよく知っていたらいいなあと思うことはたくさんあるからね。でもだからといって勉強できていないんだけど」と説得を試みるのですが、どうもかたくなにNOと言い続けます。ぼく自身、なにかのときに教会のベンチー日本であれば寺や神社ーで思いにふけることがあります。宗教的な場がもつ雰囲気の大切さは認識しています。しかし、くキリスト教を知っているというにはおこがましい。</p>
<p>息子が赤ん坊のころから孫のように面倒を見てくれているイタリア人のお祖母さんに相談すると、「分かったわ。私が言って聞かせてあげる」と引き受けてくれ、翌日、息子を彼女の家へ一人で行かせました。「なにか話があるみたいだよ」と。結果はYESです。「何が決定打だったの？」とぼくが息子に聞くと、「<strong><span style="text-decoration: underline;">宗教は文化のひとつだっていうこと</span></strong>」。彼女に「ケンはこれからもイタリアで長く生きていくに、イタリアの文化はよく知っていたほうがいいわよ。お祈りの言葉なんか知らなくてもいいのよ」とかなり長時間にわたって説かれたようです。「脱宗教」の人間が宗教は文化理解の一つであると説明しても説得性に欠けますが、毎週必ず教会のミサに通う信者に言われれば受けるほうも違いますーだいたい息子は両親がイタリア文化をよく理解していると思っていない！－。</p>
<p>中学の申し込み書には「宗教の授業を受ける」にしるしをつけ、授業を受けていて考えが変わればやめる、あるいはカテキズモを勉強することを息子が自分で判断することになりました。</p>
<p>やれやれです。</p>
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		<item>
		<title>ミラノサローネ２０１２（４） 時代の先端はどこにあるか？</title>
		<link>http://feedproxy.google.com/~r/metrocs_milano/~3/nsHsr0N2YZM/4840</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/4840#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Jan 2012 20:22:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>

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		<description><![CDATA[ぼくがヨーロッパで生活をしようと思ったのは、歴史に残る社会的インパクトのある新しいコンセプトはヨーロッパで生まれる可能性が高いと判断したことによります。この経緯は４年前に書いたことがあります。新しいコンセプト誕生の現場に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ぼくがヨーロッパで生活をしようと思ったのは、歴史に残る社会的インパクトのある新しいコンセプトはヨーロッパで生まれる可能性が高いと判断したことによります。この経緯は<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/224">４年前に書いた</a>ことがあります。新しいコンセプト誕生の現場に立ち会いたい自ら関与したいと願い、ヨーロッパで仕事をする道を探したのでした。２０代後半です。大量生産が醸し出す熱気より、時代の先端にある刺すような冷気と穴の向こうにある熱風のようなものに触れ続けたいと思ったのです。ここでいう「先端」とは技術の先端を言うのではなく、社会意識の先端を指しています。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a011168668cad970c0120a62ddeaa970c-400wi.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4844" title="lb" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/6a011168668cad970c0120a62ddeaa970c-400wi-300x199.jpg" alt="" width="300" height="199" /></a></p>
<p>ローマのFAOで広報官として働く<a href="http://www.sfc.keio.ac.jp/alumni_stories/20120116.html">山下亜仁香さんの以下の文章</a>を読んで、ぼく自身の２０代を思い出しました。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">それなりに充実していたものの３０歳を迎える頃「このままでいいのだろうか？」と不安になりました。同級生にはマザーハウスの山崎大祐やフローレンスの駒 崎弘樹など鴨池で語り合った理念を現実化している仲間がいるのに、自分はドバイなんかで何をしているのだろう？と思いました。圧倒的な貧富の差や持続可能 性を無視した経済発展のさなかで、それに自分も加担をしているのではないか。</span></p></blockquote>
<p>ドバイといえば世界中からその富が注目される場所です。各地からやってきた人々が働いています。ワールドビジネスの動きを左右するドバイにいた山下さんは「ドバイなんかで何をしているのだろう？と思いました」と書いているのです。経済的な価値ではない社会的な価値を重視していると、「ドバイなんか」となるのでしょう。経済成長をリアルに感じ、それを時代の先端と思うなら、中東やアジアは絶好のところであり、富の先にでてくる社会問題や知的関心の動向にリアリティを感じたいなら<a href="http://president.jp/articles/-/5260">ヨーロッパ</a>は良いでしょう。ある一か所ですべての要求をかなえることは難しいから旅をするわけですが、やはり生活する場所と旅先では獲得するレベルが違います。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/the-grass-is-always-greener-on-the-other-side-rianna-stackhouse.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4845" title="lgn" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/the-grass-is-always-greener-on-the-other-side-rianna-stackhouse-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a></p>
<p>隣の芝生は青い。が、青いことに嫉妬を抱いたり、その場にいないことで焦燥感を覚えて足元がぐらつかないためには、自分が今ここにいる理由が明確であり、「ここも人にとっては隣の芝生」であることを身をもって知っていることです。これは自分の能力や立場の認識に基づきますが、裏をかえせば、いかに全体を見通しているかにもよります。<strong>いずれの芝生も結局は一部でしかない</strong>のです。シリコンバレーには確かに多くの宝があるかもしれませんが、シリコンバレーには歴史に溶け込んで次の時代を見据えるという文化はないでしょう。しかし、ウィーンにシリコンバレーはなく米国の西側にあるわけです。</p>
<p>どこに行けば時代の先端を見れるということはありません。あるいは、どこにいても時代の先端は見れるものです。ピエモンテの小さな町で発信されたスローフードのコンセプトが世界に広まったことを思い起こせば、「先端」の意味はよりはっきりします。食だけではなくライフスタイルを視野に入れた時、がらりと「先端」をとりまく風景が変わるはずです。新しいコンセプトや価値にこそ人が目を開く根源があることを自覚したとき、たとえば、ヨーロッパで何を見落としアジアで何がまだみえないかーしかし、アジアが新しい道を作るかもしれないーに目はいきます。こう考えること自身がわくわくしてどきどきするものです。</p>
<p>たった数年前は中国に住むことがアジアの今を見ることだと思われ、現在はインドに住むことがアジアの先端であるとみられる・・・なんてことに振り回されている限り、どこに行っても何も見えないでしょう。<strong>場所ではなく、どんな価値観がリアリティをもつ世界に生きたいかが先にこないといけない</strong>。ぶっちゃけた話、場所なんてどこでもいいんです。場所にこだわっている限り、場所に囚われるだけです。でもぼくはミラノに住み、山下さんはローマにいる・・・・。それは場所以外の価値に重きをおいている結果である。</p>
<p>それがミラノサローネの意味です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<item>
		<title>ミラノサローネ２０１２（３） 自然現象の見方</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Jan 2012 20:17:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[ミラノサローネ2012]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[昨日午前１時ころ、卓上のライトが揺れ始めた時、地震だと思いながらほんとうに地震であろうかと一瞬迷いました。ぼくがイタリアに住み始めてからの２１年間、地震とはっきりいえるものを経験したのは２－３度です。中部や南部などでは大 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨日午前１時ころ、卓上のライトが揺れ始めた時、地震だと思いながらほんとうに地震であろうかと一瞬迷いました。ぼくがイタリアに住み始めてからの２１年間、地震とはっきりいえるものを経験したのは２－３度です。中部や南部などでは大きな地震があってもミラノで体感する地震の数はそんなものです。もっとあったかもしれませんが、記憶に残っているのはその程度です。地震がミラノにいる自分の文脈にないのです。昨年の３月１１日に日本で大きな地震を経験して以降、発生する揺れがすべて地震であると判断が傾いたのと反対です。１１日の後は、たとえ強い風で窓ガラスがビシビシ鳴っても、「地震か？」と感じ取ったものです。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/terremoto-25-gennaio-2012-500x369.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4832" title="terremoto-25-gennaio-2012-500x369" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/terremoto-25-gennaio-2012-500x369-300x221.jpg" alt="" width="300" height="221" /></a></p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">米国の大学の医学部は街の外れにあることが多い。イェール大学も同様だ。大学近くのアパートに入ると11階の部屋なのに窓ガラスが1つ抜けていた。不思議に思ったが、管理人にガラスを入れてもらい、そのまま生活をスタートした。 </span></p>
<p><span style="color: #000080;">夜になると、しょっちゅう「パーン」という音を耳にした。「またパンクか。ずいぶん安いタイヤを使ったクルマが多いな」と思っていた。だが、ある時、 「パパーン」という音を聞いて、今まで聞いていた音が銃声だと気付いた。そんな危険な地区だとは知らなかった彼は、初めてガラスが抜けていた理由を知っ た。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">「要するに、ぼくは街のコンテクストを知らなかったわけですね」と安宅さんは述懐する。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">ガラスの状態で「街の安全度」を測らなかったのは、11階のガラスが銃弾で破壊されるなどという経験がなく、また教えてくれる人もいなかったからだろう。銃弾が飛び交う街と窓ガラスの破損が、経験としてシンクロすれば分かる。</span></p>
<p><span style="color: #000080;">「脳神経系で『理解』とは物理的に存在しません。2種類の情報からの信号が1つの神経上で重なり合う現象のことなんです。つまり、複数の情報が何らかの 重なる関係を持つ時、我々は『分かる』という状態になるのです。だから、コンテクストを共有することがものすごく重要なわけですね」</span></p></blockquote>
<p>長い引用ですが、安宅和人さんと対談したとき<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110725/221670/?P=2">日経ビジネスオンラインに書いた文章</a>です。地震の判断に躊躇した際に即思い出したのが、このエピソードでした。ミラノでは、その８時間後、再び地震が発生しました。お互いの震源地が離れているにせよ、またおよそマグニチュード４であったとしても、これまでの頻度からすると珍しい現象です。イタリア人たちは大いに驚き、建物からの落下物を恐れ建物から離れながら、地震について一生懸命話していました。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/milano-4-450x306.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4833" title="mi" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/milano-4-450x306-300x204.jpg" alt="" width="300" height="204" /></a></p>
<p>ネットを見ていてふと気になりました。この地震を経験した北イタリアに住む日本人たちの書き込みをみていると、イタリア人の地震への反応が過剰であるとやや嘲笑気味です。「地震国に生まれた人間は、こんな地震ではあわてない」という態度です。ある自然現象に対して恐れを抱くのは冒頭に述べたように文脈の問題です。震度そのものではない。だいたい耐震構造との関係を考慮すれば、普段地震がない地域では震度の小さい地震でも十分に危険なはずです。それだけでなく、心の構えがないところでの異常事態は予期せぬ行動パターンを生みます。少なくても嘲笑の対象にはなりません。</p>
<p>豪雪地に南国から来た人がつるつるの靴底で歩けば、「お前、分かっていないなあ」とからかわれるかもしれません。それはいいのです。雪のある世界の文脈に来るときには、その文脈を理解することが求められるからです。日本で地震にあって怖くなりあわてて自国に帰るイタリア人に「馴れていないから仕方がないなあ」とつぶやくこととは妥当ですが、ミラノで地震にあって右往左往するイタリア人に日本人が「情けない動きをするなよ」と言うのは、的が外れているとしか言いようがない。</p>
<p>自然現象への見方は、実は文化価値体系のもととなっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<item>
		<title>２月２８日lmap勉強会番外編ワークショップ</title>
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		<pubDate>Thu, 26 Jan 2012 12:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[セミナー・講演など]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[２月２５日に「アーカイブの時代変遷と地域差異」をテーマにした勉強会を実施しますが、２８日番外編を行うことにしました。いつものように講師をお呼びするのではなくワークショップ形式で議論する場にします。 参加希望者は、anza [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/pastedGraphic.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4825" title="pastedGraphic" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/pastedGraphic-300x194.jpg" alt="" width="300" height="194" /></a></p>
<p>２月２５日に「<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/4786">アーカイブの時代変遷と地域差異</a>」をテーマにした勉強会を実施しますが、２８日番外編を行うことにしました。いつものように講師をお呼びするのではなくワークショップ形式で議論する場にします。</p>
<p>参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク）<a href="http://gmail.com/" target="_blank">gmail.com</a> かt2taro（アットーマーク）<a href="http://tn-design.com/" target="_blank">tn-design.com</a> までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のＪＩＤＡ事務局(<a href="http://www.jida.or.jp/outline/%29%E3%81%A7%E3%81%99" target="_blank">http://www.jida.or.jp/outline/)</a>です。</p>
<p><strong>２月２８日（火）１８：３０－２１：００　「本社の国のイメージと商品ブランド力」</strong></p>
<p>グローバルビジネスになればなるほど本社の場所は関係ないと言われがちです。しかし、はたしてそうでしょうか？アップルはアメリカ、ネスレはスイス、メルセデスはドイツ・・・というように会社の国のイメージと商品ブランドは緊密な関係にあります。その一方、HTCやエイサーのように、本社の場所を知っている人は知っているけれど、さほど国のイメージが効いていないと思われる事例も身近にあります。また電子機器だけでなく、<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110520/220063/">キッコーマンの醤油</a>にみるように、日本食のためではなく各地での料理に合う調味料として販売する戦略事例も少なくありません。</p>
<p>ここの一つの調査報告書があります。昨年３月１３日以降に世界９か国で日本や商品のイメージに対するリサーチを定期的に実施した結果です。これをみると、商品カテゴリーによって津波や震災後の原発事故により信頼性がさほど変化しないものと低下しているものに分かれます。あるいは生産場所と本社の場所へのイメージと商品イメージをみると、各国の日本へのイメージとは当該国の自国イメージとの釣り合いのもとで構成されているかもしれないと推察される結果があります。</p>
<p>本勉強会では、上記の報告書にあるデータを基にワークショップ形式で「自分の商品の見られ方」について議論していきたいと考えています。</p>
<p>参加定員数：１５名<br />
参加費：１０００円（飲み物や軽食を用意します）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＜冒頭の写真は、２月２５日勉強会の告知で掲載した<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/4786">ドローイング</a>が作品となったものです＞</p>
<div>Island: an existence of nine years. 2002-2011. Mixed media. 180x310x105cm.</div>
<div>Installation view &#8220;Winter Garden&#8221; at Maria Grazia Del Prete, Rome, 2012.</div>
<div>Foto: Tartaruga &#8211; © 2012. Satoshi Hirose All Rights Reserved.</div>
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		<item>
		<title>糸井重里さんの口が滑ったひとこと</title>
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		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/4814#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 20 Jan 2012 22:29:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[さまざまなデザイン]]></category>

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		<description><![CDATA[人はふつうにものごとを眺めていると、ふつうに眺められない。そういうパラドックスがあります。意図的に大きい枠組みで眺めないと、多くの場合は気づかないうちに小さな範囲に視界が限られてしまう。皮肉なことですが、ほっぽっておくと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>人はふつうにものごとを眺めていると、ふつうに眺められない。そういうパラドックスがあります。意図的に大きい枠組みで眺めないと、多くの場合は気づかないうちに小さな範囲に視界が限られてしまう。皮肉なことですが、ほっぽっておくと視界は自然に縮小していきます。パターンに馴れるとパターンの便宜性に溺れるわけです。意識してパターンを切り崩す「習慣」をもたないといけない理由がここにあります。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/images.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4816" title="im" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/images.jpg" alt="" width="261" height="193" /></a></p>
<p>「<a href="http://www.1101.com/ataka_kazuto/2012-01-20.html">ほぼ日刊イトイ新聞</a>」で『イシューから始めよ』の<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Farticle%2Fmanage%2F20110725%2F221670%2F">安宅和人さん</a>と糸井重里さんの対談が７回連続でありました。かなり含蓄のある内容でしたが、最終回の糸井重里さんの言葉がそうとうに奇妙でした。羊羹の虎屋は５００年の歴史がありますが、１００年に１度の恐慌を５回も経験して生き残っているというエピソードで、以下のようなセリフが続きます。</p>
<blockquote><p><span style="color: #000080;">これが「500年」のすごみなんだなぁと。</span></p>
<p><span style="color: #000080;"> このあたりの時間の感覚って</span><br />
<span style="color: #000080;"> 「グローバル」と呼ばれる西洋中心の世界では</span><br />
<span style="color: #000080;"> 欠けてる部分だと思うんです。</span></p>
<p><span style="color: #000080;"> それは「アメリカの歴史の短さ」に要因が</span><br />
<span style="color: #000080;"> あるんじゃないかなと思うんですが。</span></p></blockquote>
<p>トレンドをよく読んできた糸井重里さんらしい発言の流れがピタリと凍りつきます。西洋の中心をアメリカだけで語っているアンバランスはなんだろうと思います。対談はこのまえに源氏物語の時代にも遡っているのですから、それなりの目配せがきいている空間です。<strong>西洋文化の歴史の長さは、それこそ「世界の常識」であるにも関わらず、その西洋をアメリカに代表させ、その歴史の短さで西洋文化を批評する。グローバリゼーションを仲介にたてているにせよ説得性に欠けるロジック</strong>です。</p>
<p>まさか「世界の常識」から外れた方ではないでしょうから、ここは<strong>口が滑った</strong>のだと思います。それをご丁寧にも対談の文章を作った人間がそのままなぞったのでしょう。そして彼は校正時にその点を見逃した。このように想像するのが妥当でしょう。では、なぜ糸井重里さんは見逃したのか？です。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/o0800052411738727367.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4815" title="vv" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/o0800052411738727367-300x196.jpg" alt="" width="300" height="196" /></a></p>
<p>ヒントは上の文章にあります（<strong><span style="color: #ff0000;">クリックして拡大して読んでみてください</span></strong>）。何年か前からネットでずいぶんと紹介されている事例ですが、文字の配列がめちゃくちゃながら意味がとれてしまいます。すなわち思考のあるパターンで文章を読んでいるのであって、文字そのものを追って文章の理解をしているのではないのです。糸井重里さんは「世界の常識」がありながら、思考パターンのなかで外国としてのアメリカがあまりに肥大化しているのでしょう。だから口が滑るのです。冒頭で書いた表現を使えば、「パターンの便宜性に溺れた」のだと思います。これは彼を批判するために書いているのではなく、誰でも陥る穴であるとの自覚を促すために犠牲になってもらいました。かように<strong>視界を広くしておくのは努力が必要ですが、努力せずにいられないクローズであることへの生理的な嫌悪感や知性への信頼性が思いのほか機能するのかもしれません</strong>。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/e_0173_02.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-4817" title="i" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/e_0173_02.jpg" alt="" width="300" height="166" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<img src="http://feeds.feedburner.com/~r/metrocs_milano/~4/TvzkF4J1sH4" height="1" width="1"/>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ミラノサローネ２０１２（２）　なぜワークショップを行うか？</title>
		<link>http://feedproxy.google.com/~r/metrocs_milano/~3/TiZPsml9kQ4/4807</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/4807#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Jan 2012 21:26:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[イノベーティブ思考]]></category>
		<category><![CDATA[ミラノサローネ2012]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

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		<description><![CDATA[イタリアの子供たちをみていていろいろな点に気づきますが、そのひとつに自分をさらけ出すのにあまり躊躇がないということがあります。たとえば、何か人前でするときにアガルとしても、「今、あがっちゃってる」と言える。何か発言をしな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>イタリアの子供たちをみていていろいろな点に気づきますが、そのひとつに自分をさらけ出すのにあまり躊躇がないということがあります。たとえば、何か人前でするときにアガルとしても、「今、あがっちゃってる」と言える。何か発言をしなければいけないとき、「もし言って間違っていると恥ずかしいから言わない」と言う。黙ってうつむくのではなく、非力な自分をそのまま表にだすわけです。反対に言うと、だからこそ言い訳が上手い子供になりやすい。それこそ「可視化」が訓練されています。良くも悪くも・・・・。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/skills-workshop-stencilduplicator2_web.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4808" title="sw" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/skills-workshop-stencilduplicator2_web-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>今、「可視化」がとても流行っています。暗黙知が避けられ、文章が避けられ、図式化されるーインフォグラフィックの隆盛ーことが情報伝達の効率を向上させると思われています。ただ、効率の向上が実質的な理解にどこまで貢献するかについては別の話になります。とっかりはいいけど、分からないものは分からない。何でも漫画にすれば深い理解を促すのではなく、漫画はあくまでも親しみを喚起するだけです。あまり動きのない登場人物が難しい言葉で話し合っている漫画はやはり難しいのです。</p>
<p>「可視化」と並んで「ワークショップ」が多方面で活用されています。正直に言います。かつてーこの１０年くらい前までー、ぼくはワークショップはもとより講演会も嫌いでした。一対一で質問をしながら聞く話は良いのですが、多くの人と一緒に一方的に話しを聞くことに関心がありませんでした。ワークショップは参加したときは清々しいが、日常に戻ると「あれは何だったのか？」と非日常への逃避のように思えたものです。そのぼくが、現在、講演会で人の前でしゃべりワークショップを実施しています。これは、ぼく自身の変化だけでなく時代の変化によりところがあるのではないかと思います。</p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/Community_Dialogue_Workshop_Group_2_2008_2.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4809" title="C" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/Community_Dialogue_Workshop_Group_2_2008_2-300x223.jpg" alt="" width="300" height="223" /></a></p>
<p>あることの理解には自らの体験がどうしても必要です。しかし、すべて体験が必要であると言い張っていれば、人は膨大な時をかなり非効率に生きざるを得ません。のんびりした時代はそれも良かったでしょう。大きな失敗をしてもリカバーの余地のある時代はそれも通用しました。だが、あらゆることがスピードアップし、おおらかな失敗をしている余裕のない今、<strong>「如何に小さな失敗を効率よく自らこなしていくか」が成功の秘訣になりつつあります。しかも、そこにはリアリティがないといけません。</strong></p>
<p>これがビジネスの現場で「可視化」と「ワークショップ」を後押しする理由ではないかと考えています。いや、少なくてもぼくはそういう意図で講演会を行いー文章を読んでの理解を視覚的にアシストするー、<strong>ワークショップで小さなずれを微調整しながら既定の枠を柔らかいものにしていくのです。同時に、小さなミスは大きな可能性の前に矮小化され、大きな展開の活性剤となることも学んでいきます</strong>。これを「非日常の発想の転換」ではなく、日常のなかのテーマを解決するために利用していくことに意味を見出すのです。</p>
<p>ミラノサローネというイベントの位置づけも、こういうフレームで眺めてみると納得のいく点が多いはずです。</p>
<img src="http://feeds.feedburner.com/~r/metrocs_milano/~4/TiZPsml9kQ4" height="1" width="1"/>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>lmap勉強会「アーカイブの時代変遷と地域差異」（２月２５日）</title>
		<link>http://feedproxy.google.com/~r/metrocs_milano/~3/OUL94rbd5QY/4786</link>
		<comments>http://milano.metrocs.jp/archives/4786#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 11 Jan 2012 09:04:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>安西 洋之</dc:creator>
				<category><![CDATA[セミナー・講演など]]></category>
		<category><![CDATA[ローカリゼーションマップ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://milano.metrocs.jp/?p=4786</guid>
		<description><![CDATA[ローカリゼーションマップの勉強会をスタートしたのが２０１０年の３月。１年目６回、２年目６回と偶然にも同数の実施でした。昨年最後は「インフォグラフィックにみる文化差」でした。 ２０１２年は１３回目の勉強会で幕開けです。今年 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><a href="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/plan004.jpg"><img class="size-medium wp-image-4793   aligncenter" title="dohs" src="http://milano.metrocs.jp/wp-content/uploads/2012/01/plan004-216x300.jpg" alt="" width="216" height="300" /></a></p>
<p>ローカリゼーションマップの勉強会をスタートしたのが２０１０年の３月。１年目６回、２年目６回と偶然にも同数の実施でした。昨年最後は「<a href="http://milano.metrocs.jp/archives/4569">インフォグラフィックにみる文化差</a>」でした。</p>
<p>２０１２年は１３回目の勉強会で幕開けです。今年も６回実施を目標にスタートです。</p>
<p>参加希望者は、anzai.hiroyuki(アットマーク）<a href="http://gmail.com/" target="_blank">gmail.com</a> かt2taro（アットーマーク）<a href="http://tn-design.com/" target="_blank">tn-design.com</a> までお知らせください。議論に積極的に参加していただける方、本研究会の今後の活動に貢献していただける方、大歓迎です。内容に一部変更になる可能性がありますが、その際は、ご了承ください。場所はいつもと同じく、六本木アクシスビル内のＪＩＤＡ事務局(<a href="http://www.jida.or.jp/outline/%29%E3%81%A7%E3%81%99" target="_blank">http://www.jida.or.jp/outline/)</a>です。</p>
<p><strong>２月２５日（土）１６：００－１８：００　「アーカイブの時代変遷と地域差異」</strong></p>
<p>かつて資料保存には努力が必要でした。とくにスペースとの戦いがあり、それだけのコストをかけて物理的に資料を保存する意味があるのかを常に自問しながら自らと人を説得していく必要がありました。が、時が経過し保存された資料の意味が「浮上」してくるものです。歴史はこうして作られてきました。つまりアーカイブの価値を知ることは、歴史に評価されることを念頭におくことにほかなりません。国によって違うジャンルの博物館があるのも、その点からみると興味深いです。</p>
<p>一方、多くの情報がデジタルで保存できるようになり、特にクラウド上に情報が存在するとき、今までのようなコスト計算が不要－話をシンプルにすればーになりました。アーカイブはあるシステムにのれば「意図的にではなく無意識」にできるようになりました。Tweetして失敗したと思った記述を自らのタイムラインから消去しても、アーカイブシステムがおせっかいにもデータを守ります。フェイスブックを利用してライフログを自動的に作れるようになりました。</p>
<p>ここにアーカイブに関する考え方の変遷や地域文化による差異を探索していく意義があります。</p>
<p>どこか新しい国に出かけるとスーパーに入り生活者の日常を探ることを楽しみとする人は多いでしょう。しかし、そうして世界中のミルクを買い集めてパッケージデザインなどから社会分析する人はそんなに多くありません。しかもスーパーだけでなく、郵便局や病院にも出かけてシステムを観察し、その国の文化や社会の特徴を知ろうとする人はさらに珍しいです。</p>
<p>その珍しい人が柳本浩市さんです。縄文時代からのー古今東西ーさまざまなアイテムをコレクター以上のコレクションをもちながら「ぼくはコレクターじゃないんです。これだけモノを集めていて、こういうのもなんだけど、ぼくはモノの周辺に興味があるんです」と語る人です。アーカイブの意味をリアルに語っていただくなら、この柳本さんをおいていないでしょう。</p>
<p>参加定員数：２０名<br />
参加費：１５００円（１８：００－２０：００の懇親会参加費を含む）</p>
<p><strong>講師：柳本　浩市（やなぎもと　こういち）</strong></p>
<p><strong>今回のテーマにあわせ、検索で出てくる柳本さんのプロフィールを掲載します。<br />
</strong></p>
<div>→Twitter での自己紹介</div>
<div>@metaboyana 　リアル中西という次世代型飲み会主宰。過去の情報や物を貧欲に収集し、そこから見える歴史背景や社会性と心理を読み解き、将来の商品開発や教育、戦略を企てる仕事。つまり考古学や社会学のような研究を実ビジネスやリアルライフスタイルに繋げる仕事をやってます。</div>
<p>→「Openers」で柳本さんの連載でのインタビュアー紹介</p>
<p><a href="http://openers.jp/interior_exterior/yanagimoto_kouichi/index.html">http://openers.jp/interior_exterior/yanagimoto_kouichi/index.html</a></p>
<p>→<a href="http://www.wgn.co.jp/store/dat/3158/">オンラインブックストア</a>で『Design=Social』の著者紹介</p>
<p>歴史に名を残したデザイナー、メーカー、ブランド、デザイン形態……。エアラインや北欧ブームの仕掛け人でもあり、現在はKDDIなどのデザインアドバイザーも務める柳本浩市氏が、その成功の背景にある理由を紐解きます。そこから見えてくる未来のデザインのあり方とは！？</p>
<p>→ぼくが「『Design=Social』を読む」で書いた柳本さん紹介</p>
<p><a href="http://milano.metrocs.jp/archives/3589">http://milano.metrocs.jp/archives/3589</a></p>
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<p>＜<strong>冒頭のドローイングについて</strong>＞</p>
<p>Image drawing for the exhibition &#8220;Winter Garden&#8221;　© 2012 Satoshi Hirose All Rights Reserved.</p>
<p>ローマの<a href="http://www.galleriadelprete.com/">Galleria Maria Grazia Del Prete</a> （１月２３日から３月２４日）にて作品が展示されます。９年間に作家自ら消費したペットボトルのキャップに小麦粉を流し込み島を作りました。台座の側面に小さなくぼみがあり、そこに金の豆がおかれています。ある日常的に使われるものを通じ、具体的な概念が時と文脈によって変貌していくことを可視化しています。今回の勉強会とのテーマと非常に近いと思い、ご紹介することにしました。作品の写真を１月２３日以降に掲載します。</p>
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